そこの祐経の妻というのは、千葉介常胤が京都に滞在していた時につくった、京育ちの娘で、小松殿のお邸に冷泉殿の御局と名のって仕えていた、年かさの女房であった。差衛門尉がまだ工藤一郎という無官の若者であった時、叔父の伊藤二郎と仲違いして、先祖伝来の領地を奪い取られただけでも穏やかでないところに、夫婦の仲まで引き裂かれたため、その復讐の思いを果たすために伊豆に下ろうとした。その折、小松殿が祐経との別れをお惜しみになり、
「年こそ少しふけてはいるが、祐経と契りを結び、都に引き留めておいてくれれば、喜ばしい事と思う」
とおっしゃったので、仰せを背きがたくて祐経と初めて契りを結び、それから互いにその愛情が深くなったのであった。
治承年間に小松殿がお亡くなりになってから後は、頼るべき所もなかったので、祐経に連れられて東国に下った。すでに長い年月が経っているにもかかわらず、さすがになだ詩歌管絃のたしなみを忘れてはいないので、静を懐柔する事も造作ないと思ったのであろう。急いで身支度を整え、掘藤次の邸に出かけて行った。
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