〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/17 (金) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (六)

祐経すけつね妻女さいじょと申すは、千葉介ちばのすけ常胤つねたね在京ざいきょうの時、もう けたりける京童きょうわらは の娘、小松殿こまつどの の御うち に、れんぜい殿どの の御つぼね とて、大人おとな しき人にてぞありける。左衛門尉いま だ工藤一郎たりし時、叔父おじ 、伊藤二郎になかたが ひて、本領ほんりょう を取らるるだにも、やす からぬに、 かぬ別れを、引分ひきわ けられて、その本意を げんが為に、伊豆いず へ下らんとしけるを、小松殿、祐経すけつね が名残を惜しませ給ひて、
とし こそ少し大人おとな しけれども、祐経に見えそめて、みやことど めて び候はば、よろこ び入り候」
よ仰せられければ、仰せのさりがたさに祐経に見え めて、互い志深かりけり。
治承じしょう に小松殿かく れさせ給ひてのち は、たのかた なかりければ、祐経すけつね具足ぐそく せられて、東国とうごくくだ りたり。とし 久しくなりたれども、流石さすが狂言きょうげん ?語きぎょたわむ れも、いま だ忘れざりければ、すか さん事もやす しやと思ひけん。急ぎ出で立ち、堀藤次ほりのとうじ宿所しゅくしょ に行きけり。

そこの祐経の妻というのは、千葉介常胤が京都に滞在していた時につくった、京育ちの娘で、小松殿のお邸に冷泉殿の御局と名のって仕えていた、年かさの女房であった。差衛門尉がまだ工藤一郎という無官の若者であった時、叔父の伊藤二郎と仲違いして、先祖伝来の領地を奪い取られただけでも穏やかでないところに、夫婦の仲まで引き裂かれたため、その復讐の思いを果たすために伊豆に下ろうとした。その折、小松殿が祐経との別れをお惜しみになり、
「年こそ少しふけてはいるが、祐経と契りを結び、都に引き留めておいてくれれば、喜ばしい事と思う」
とおっしゃったので、仰せを背きがたくて祐経と初めて契りを結び、それから互いにその愛情が深くなったのであった。

治承年間に小松殿がお亡くなりになってから後は、頼るべき所もなかったので、祐経に連れられて東国に下った。すでに長い年月が経っているにもかかわらず、さすがになだ詩歌管絃のたしなみを忘れてはいないので、静を懐柔する事も造作ないと思ったのであろう。急いで身支度を整え、掘藤次の邸に出かけて行った。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ