〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/17 (金) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (五)

そのころ 左衛門尉さえもんのじょうとうつじ に候ひけり。梶原源太かじわらげんたに連れてぞ参りける。鎌倉殿かまくらどの仰せられけるは、
「梶原をもつ って言はすれども、返事をだにも申さぬに、御辺ごへん 行きてすか して舞はせてんや」
と仰せを蒙りて、かかるゆゆしき大事こそなけれ。御諚ごじょう にてだにも従はぬ人を、すか せとの仰せこそ大事なれと思ひて、思ひわずら ひて、急ぎやかた へ帰りて、妻女さいじょ に申しけるは、
「鎌倉殿よりいみじき大事を承りてこそ候へ。梶原御使ひにて仰せられつるをだに、用いぬしずかすか して舞はせよと、仰せを蒙りたるこそ、祐経がため には大事に候へ」
と言ひければ、女房、
「それは梶原にもよるべからず。左衛門尉さえもんのじょうにもよるべからず。なさけ は人のため にもあらばこそ、景時かげとき田舎男いなかおとこにて、こつ なきさま風情ふぜい にて、 『まい ひ給へ』 なんどこそ申したりつらめ。御身とてもさこそおはせんずらめ。ただ様々さまざま果物くだもの を用意して、殿どのもと へ行きて、とぶら ひ奉るよう にて、内々ないない こしらすか し奉らんに、などかかな はざるべき」
と、世にやす げにぞ言ひける。

その頃、左衛門尉は塔の辻に住んでいた。仰せを受け、梶原源太に連れられてやって来た。鎌倉殿はこれに向かって仰せられた。
「梶原をやって言わせたが、静は返事さえもいたさぬので、その方が行ってうまく言いつくろって舞わせてくれぬか」
祐経は仰せを受けて、こんな厄介な大仕事はない。鎌倉殿のお言葉ですら従わない人を、うまく説得せよとの仰せとは大変な事よと思って、思案にくれながら急いで邸に帰り、妻に向かってこう言った。
鎌倉殿から大変な厄介事を仰せつかって参った。梶原がこの使者となってお申しつけになったのさえ聞き入れぬ静を、説得して舞わせよとの仰せを頂戴したが、この祐経にとっては一大事だ」。
すると女房は、
「それは相手が梶原だから、左衛門尉だからという事にはよりますまい。情けは人にとって大切な事でございます。恐らく景時も田舎者なので、武骨な様子で 『舞をお舞いいただきたい』 と言ったのでございましょう。あなたもきっと、同じようになさるに違いありません。ここはただ、色々な果物を用意して、掘藤次殿の所へ行き、お見舞いをするようね様子で、そっと上手に機嫌をとり、説得申し上げましたなら、どうして目的を達せない事がございましょう」
と、いかにも造作なさそうに言った。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ