その比
左衛門尉は塔
の辻
に候ひけり。梶原源太に連れてぞ参りける。鎌倉殿仰せられけるは、
「梶原を以
って言はすれども、返事をだにも申さぬに、御辺
行きて賺
して舞はせてんや」
と仰せを蒙りて、かかるゆゆしき大事こそなけれ。御諚
にてだにも従はぬ人を、賺
せとの仰せこそ大事なれと思ひて、思ひ煩
ひて、急ぎ館
へ帰りて、妻女
に申しけるは、
「鎌倉殿よりいみじき大事を承りてこそ候へ。梶原御使ひにて仰せられつるをだに、用いぬ静
を賺
して舞はせよと、仰せを蒙りたるこそ、祐経が為
には大事に候へ」
と言ひければ、女房、
「それは梶原にもよるべからず。左衛門尉にもよるべからず。情
は人の為
にもあらばこそ、景時
も田舎男にて、骨
なき様
の風情
にて、 『舞
舞
ひ給へ』 なんどこそ申したりつらめ。御身とてもさこそおはせんずらめ。ただ様々
の果物
を用意して、殿
の許
へ行きて、訪
ひ奉る様
にて、内々
拵
へ賺
し奉らんに、などか叶
はざるべき」
と、世に易
げにぞ言ひける。
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