〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/16 (木) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (四)

御所ごしょ には 「いまいま や」 と待ち給ひけるところ に、景時かげとき 参りたり。
二位にい 殿どの の御方より 「如何いか に返事は」 と御使ひあり。
御諚ごじょう と申し候ひつれども、返事をだにも申され候はぬ」 と申しければ、鎌倉殿も、
「もとより思ひつる事を。みやこ に帰りてあらん時、内裏だいりいん の御所にて、 『兵衛佐ひょうえのすけまい へとは言はざりけるか』 と御尋ねあらん時、 『梶原かじわら を使ひにて舞へと申し候ひしかども、なに のいみじさにか舞ひ候ふべき、つい に舞はず』 と申さば頼朝よりとも のなきに似たり。如何いかが あるべき。たれ にてか言はすべき」
と仰せられければ、梶原申しけるは、
工藤くどう 左衛門さえもん こそ都に候ひし時も、判官殿ほうがんどのつね に御 けられし者にて候へ。しかも京わらべ にて、口利くちきき にて候。かれ に仰せ付けられるべくや候ふらん」
「さらば祐経すけつね 召せ」 とて、召されけり。

御所では 「今か今か」 と待ち構えていたところ、景時が参上した。
二位殿の御方からも、 「どうであったか返事は」 とお使いがあった。
「ご命令だと申しましたが、返事すらなさいませぬ」 と申し上げると鎌倉殿も、
「以前から考えていた通りよ。彼らが都に立ち帰った時に、内裏や院の御所で、 『兵衛佐は、舞を舞えとは言わなんだか』 とお尋ねがあった際、 『梶原を使者として舞えといって参りましたが、何の面白さに舞ったり致しましょうか。遂に舞いませんでした』 と申し上げたとしたら、頼朝に威光がないかのようだ。どうしたらよかろうぞ。誰をやって言わせたらよいか」
とおっしゃったところ、梶原がこう申し上げた。
「工藤左衛門は、都におりました時にも、判官殿にいつもお目をかけられていた者でござる。その上、都育ちで口達者でござる、この者にお申しつけあそばされればよいかと存じます」
「それでは、祐経を呼べ」 と言って、お呼び出しになった。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ