〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/15 (水) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (三)

たれ にか言はせんずる」 と仰せられければ、梶原申しけるは、 「景時かげとき が計らひて舞はせ参らせん」 とぞもうしける。
鎌倉殿、 「如何いかが あるべかるらん」 とぞ仰せられける。
「我がちょう住居すまい をせんほど の人、君の仰せをいかでかそむ き参らせ候ふべき。そのうえすで死罪しざい に定まりて候ひしを、景時かげとき 申してこそなだめ め奉りて候ひしか。善悪ぜんあく 舞はせ参らせ候はんずる」
と申しければ、 「さらば行きてすか せ」 と仰せられけり・

「誰に言わせたらよかろう」 とおっしゃったので、梶原は 「この影時が取り計らって舞わせ申しましょう」 といった。
鎌倉殿は、 「どうしたものか」 とおっしゃった。
わが国に住んでおりますほどの人なら、殿の仰せをどうしてそむき申し上げることができましょう。その上、すでに死刑に決定しておりましたものを、この影時が申し上げて許してやったのでござる。どうあっても舞わせてお目にかけましょう」
と、景時が言ったので、 「それなら、行って言い含めよ」 とおっしゃった。

梶原かじわら 行きて、磯禅師いそのぜんじを呼び出して、
鎌倉殿かまくらどのの御気色きしょく げにこそ御渡りへ、川越かわごえ 太郎御こと を申し出されて候ひつるに、あはれ音に聞こえ給ふ御まい 一番いちばんまい らせばやとの御気色きしょく にて候。なに か苦しく候ふべき。一番いちばん 見せ奉り給へかし」
と申したりければ、このよししずか に語れば、 「あな心 や」 とばかりにて、きぬ 引きかづ きて し給ひけるが、
「すべての人の斯様かよう の道を立てけるほど の、口惜くちお しき事はなかりけり。この道ならざらんには、かかる一方ひとかた ならぬ嘆きの絶えぬ身に、さりとて き人のまえ にて、舞へなんどとたやすく言はれつるこそやす からね。なかなか伝へ給ふ母の心こそうら めしけれ。されば舞はば舞はせんと思召おぼしめ しけるか」
とて、返事にも及ばず、禅師ぜんじ 梶原にこのよし を言ひければ、あん相違そうい してぞ帰りける。

梶原は掘藤次の邸に出かけて行き、磯禅師を呼び出して
「鎌倉殿のご機嫌がよいようにお見受けいたす。。川越太郎が静殿の御事をお言い出しなされたところ、鎌倉殿は何とか評判の高い御舞を一番拝見申したいとのご意向でござる。何の支障があろう。一番お見せ願いたい」
と申し入れたので、禅師はこの旨を静に語った。ところが静は、 「ああ情けない」 というばかりで衣をひっ被 (カブ) って俯伏 (ウツブ) してしまわれたが

すべての人にとって、このような白拍子としての芸で身を立てる事ほど口惜しい事はない。この白拍子の道に私が身を置かなかったなら、こんな並々でない嘆きの絶えぬ身にはならなかったでございましょうに。それにしてもあんな嫌な人の前で舞えなどと簡単にいわれるのが心外です。却って、そんな事を伝達なさる母上の御心が恨めしゅうございます。それでは、この私がもし舞うなら舞わせようとお思いにまったのでございますか」
と言って、ろくに返事もなさらない。禅師がこの事を梶原に告げると、梶原は思惑が外れて邸に立ち帰った。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ