「抑々
如何程
の舞なれば、斯程
に人々念
をば懸
けらるるぞ」 と仰せられければ、
梶原
、「舞に於いては日本一の舞にて候」 とぞ申しける。
鎌倉殿、 「事々
しや、何処
にて舞ひて、日本一とは申しけるぞ」。
梶原申しけるは、 「一年
百日の旱
の候ひけるに、賀茂川
、桂川
も皆
瀬
切れて流れず、筒井
の水も跡
絶
えて、国土
の大事にて候ひけるに、時代
久
しき例文
引いて、山
、三井寺
、東大寺
、興福寺
の有験
高僧
貴僧
百人牒状
して、しでの池にて仁王経を講
じ奉らば、八大龍王
も知見納受を垂
れ給ふべしとて、百人の高僧
貴僧
仁王経
を講
ぜられしかども、その験
もなかりけり。
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「一体どんな上手な舞なので、これほど人々が執心致すのか」
と鎌倉殿がおっしゃったので、梶原は、 「舞にかけては日本一でござる」 と言った。
鎌倉殿は、 「大袈裟な。どこで舞って日本一というのだ」。
梶原は答えて、 「百日間の日照りが続きました折、賀茂川も桂川もすっかり瀬がなくなって流れなくなり、井戸の水も涸れてしまって、国土が危機に瀕しましたところ、由緒の古い文書の例を引いて、比叡山、三井寺、東大寺、興福寺などの効験あらたかな高僧・貴僧が牒状を奉って、しでの池で仁王経をお読み申し上げたならば、八大龍王もこれをみそなわし、お受け入れ下さいますことでしょうということで、百人の高僧・貴僧が仁王経をお読みになったが、いっこうにその効き目もありませんでした。
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また在
る人の議
に、『容顔
美麗
ならんずる白拍子を百人召して、院
御幸
なりて、しでの池にて舞はせられば龍神
納受
し給はざるべきか』 とて、御幸
ありて、百人の白拍子を召して舞はせられしに、九十九人舞ひたりしに、その験
もなかりし程
に、磯禅師申しけるは、
「九十九人が舞ひたるに、その験
はざらんに、静
一人舞ひたりとても、龍神
知見
あるべきか。而
も内侍所に召されて、禄
重き者にて候ふに」 と申したりけれども、 『とても人数
なれば唯
舞はせよ』 と仰せ下されければ、静
舞ひたりけるに、しんむじやうの曲
といふ白拍子を半
らばかり舞ひたりしに、みこしの岳
、愛宕
山の方より黒き雲俄
に出で来て、洛中
にかかると見えければ、八大龍神
鳴り渡りて、稲妻
ひるめき、諸人の眼を驚かし、三日の洪水
を出だし、国土
安堵
なりしかば、さてこそ静
が舞に知見
ありけりとて、日本一と宣旨
を賜はりけるとは承り候ひしか」
と申したりければ、鎌倉殿これを聞召
されて、 「さては一番
見たし」 とぞ仰せられける。 |
また、ある人の提案に、 『容姿の美しい白拍子を百人呼び集め、院の御幸
(ゴコウ) を仰いで、しでの池において舞わせられましたならば、どうして龍神がお聞き届け下さらないことがございましょう』
とあったので、院の御幸をお願いし、百人の白拍子を呼んでお舞わせになった。ところが九十九人が舞ったのに、その効
(キキメ) がなかったため、磯禅師が進み出て 『九十九人が舞いましたのに、その験
(シルシ) がございませんところを、静一人が舞ったとしても、龍神がどうしてお聞き届け下さいましょうか。それの静は宮中の内侍所にお召しを受け、重い給与を頂戴しております者でございますのに』
と申し上げましたが、 『どっちにせい人数の内に選ばれているのだから、とにかく舞わせてみよ』
とご下命がありましたので、静が舞いましたところ、しんむじょうの曲という白拍子の半分ばかりを舞ったその時、みこしの岳、愛宕山の方から黒い雲が突然吹き出して来て、京都中に蔽いかぶさると見えた途端、八大龍神の雷鳴が響き渡って、稲妻が光り、大勢の人に驚いて目をみはらせ、三日間洪水のように雨を降らせて国土が無事に治まりました。そこで、これこそ静の舞に感銘してお聞き届け下さったのだといって、日本一との宣旨を拝領したと聞き及んでおります」
と、こういったので、鎌倉殿はこれをお聞きになり、 「それでは、一番見たいものだ」 とおっしゃった。
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『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ
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