〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/11 (土) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (一)

磯禅師いそのぜんじ申しけるは、
おさな き人の事は思ひ設けたる事なれば、さて置きぬ。御身安穏あんおん ならば、若宮わかみや へ参らんと、かね ての宿願しゅくがん なれば、いか でかただのぼ り給ふべき。八幡はあら を五十一日 ませ給ふなれば、精進潔斎しょうじんけっさいしてこそ参り給はめ。そのほど はこれにて日数にっすう をこそ」 とて、日数ひかず を待つ。

磯禅師は静に向かって、
「幼い人の事は、かねてから覚悟していた事だから仕方がない。あなたの身が無事であったら若宮八幡へ参詣しようと、以前から願を立てていたので、どうしてこのまま都へ上ることができましょう。八幡の神はお産の出血を五十一日間お嫌いになるから、精進潔斎してご参詣しましょう。それまでの間は、ここで日を送りましょう」 といってその日を指折り数えて待った。

さるほど に、鎌倉殿かまくらどの三島みしま精進しょうじん とぞ聞こえける。八個国かこくさむらい ども みなとも 申しけり。御しやうしやの御徒然つれづれ に、人々様々さまざま の物語をぞ申しける。 その中に川越太郎かわごえのたろうしずか が事を申し出だしたりければ、
各々おのおの斯様かようついで ならでは、いか でかくだ り給ふべき。あはれおと に聞こゆるまい一番いちばん 御覧ごらん ぜられざらんは無念むねん に候」
と申しければ、鎌倉殿かまくらどの仰せられけるは、
しずか は九朗に思はれて、身を華飾かしょく にするなるうえ 、思ふ仲を妨げられ、その形見かたみ にも見るべき子を失はれ、なに のいみじさに頼朝よりともまえ にて舞ふべき」
と仰せられければ、人々 「これはもつと御諚ごじょう のなるなり。さりながら、如何いかが して見んずるぞ」 と申しける。

そうしているうちに、鎌倉殿が三島神社で精進を行うという噂が立った。関東八ヶ国の侍たちが、すべてそのお供を申し上げた。ご参籠 (サンロウ) の無聊 (ブリョウ) を慰めるために、人々がいろいろの物語を申し上げたが、その中で川越太郎が静の事を言い出したので、
めいめい、「このような予 (ツイデ) がなければ、どうして静御前が東国に下られるような事はござろうか。ああ評判の高い舞を一番ご覧あそばされないのは残念でござる」
と言い合った。そこで鎌倉殿は、
「静は九朗に愛されて、思い上がっている上、その仲を邪魔されて義経の形見として見ようとした子まで殺され、何が嬉しくてこの頼朝の前で舞うはずがあろうぞ」
とおっしゃったが、人々は 「これは尤もの仰せでござる。とはいうものの、何とかして見たいものよ」 といった。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ