「もしかしたら」 との一縷の望みで、砂浜の暖かな場所に衣の端を敷いて寝かせて介抱したが、もう完全に息絶えてしまっていると見えたので、持って帰って母親に見せて悲しませるのもかえって罪深いと思い、ここに埋めようと浜辺の砂を手で掘ったが、ここも浅ましい牛馬の往来する場所で、可哀相に思われ、さしもに広い海浜ではあるが、亡骸を葬るべき場所はどこにもない。そこでやむなく、遺骸を抱いて宿所に帰った。
静はこれを受け取ると、すでに死んでしまった者をさながら生きている者のように、身にしっかりと抱きしめて泣き悲しんだ。
「哀傷といって、親が子の死を嘆くのは特に罪深いことでございますから」
といって、堀藤次の若党に命じて、この幼児の曾祖父に当たる、故左馬頭殿のために造営された勝長寿院の背後に埋葬して帰って来た。
「こんな嫌な思いをする鎌倉に、一日もいるいわれはない」 といって急いで京へ上ろうと帰り支度をした。
|