禅師
は裏無
も履
き敢
へず、薄絹
も被
かず、其駒
ばかりを相具
して、浜
の方
へぞ下
りける。堀藤次も禅師
を訪
ひて、後
に付きてぞ下
りける。
静
も諸共
にと慕ひけれども、堀藤次の妻女
、 「産
の則
ちなり」 とて、やうやうに諌
め取止
めければ、出でつる妻戸
の口
に倒
れ臥
してぞ悲しみける。 |
禅師は草履さえ履く暇もなく、薄い被衣 (カズキ)
も纏 (マト) わず其駒 (ソノコマ)
一人だけを連れて浜の方へ下りて行った。堀藤次も禅師を探して、其の後を追って浜へ向かった。
靜も一緒に行きたいと後を慕ったが、堀藤次の妻が 「お産の直後だから」 といって、あれこれと諌めて引き止めたので、起き出た妻戸の入り口に倒れ伏して泣き悲しんだ。
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禅師
は由比
の浜
に尋ね、馬
の跡
を尋ぬれども、幼
き人の死骸
もなし。
「今生
の契
りこそ少なからめ、空
しき姿を今一度見せ給へ」
と 悲しみつつ、渚
を西へ向きて歩
みける所に、稲瀬
川の河端
に、浜
の砂
に戯
れて、幼き者二三人遊びけるに逢
ひて、
「馬
に乗りたる男
の、 『くが』 と泣きつる子や棄
てつる」 と思ひければ、
「誰
とは見分けねども、あの汀
に積みて候ふ材木
の上にこそ投入
れ候ひつれ」
とぞ言ひけるが、堀藤次が下人
を以
て見せければ、只今
まで蕾
む花の様
なりつる幼き人の、何時
しか今は、引きかへたる空
しき姿尋ね出だして、磯禅師に見せければ、押巻
きたる衣
の色は変はらねども、跡
なき姿となりはてけるこそ悲しけれ。 |
禅師は由比の浜に尋ね出て、馬の通った跡を探し求めたが、幼児の死骸はどこにも見当たらない。
「この世の縁こそ薄いとしても、死骸をせめてもう一度お見せ下さい」
と泣き悲しみながら渚を西に向かって歩いているうちに、稲瀬川の川端で、幼児が二、三人砂遊びに興じているのに出会ったので、
「馬に乗った男が、 『おぎゃあ、おぎゃあ』 と泣いている子を捨てなかったか」 と尋ねると、
「誰かははっきりわからないが、あの波打際に積んである材木の上に投げ入れたよ」 と言った。
そこで堀藤次が下人をやって見せたところ、たった今まで花の蕾のようであった幼児が、いつのまにかすっかり変わりはて亡骸になっているのを尋ね出して、磯禅師に見せた。
見ると、体を巻き包んであった着物の色は元のままだが、全く見る影もない無慚な姿になり変ってしまっていたのは、悲しい事であった。
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『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ
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