〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/07 (火) しずか 鎌 倉 へ 下 る 事 (八)

禅師ぜんじ裏無うらなし へず、薄絹うすぎぬかづ かず、其駒そのこま ばかりを相具あいぐ して、はまかた へぞくだ りける。堀藤次ほりのとうじ禅師ぜんじとぶら ひて、あと に付きてぞくだ りける。
しずか諸共もろとも にと慕ひけれども、堀藤次ほりのとうじ妻女さいじょ 、 「さんすなわ ちなり」 とて、やうやうにいさ取止とりとど めければ、出でつる妻戸つまどくちたお してぞ悲しみける。

禅師は草履さえ履く暇もなく、薄い被衣 (カズキ) も纏 (マト) わず其駒 (ソノコマ) 一人だけを連れて浜の方へ下りて行った。堀藤次も禅師を探して、其の後を追って浜へ向かった。
靜も一緒に行きたいと後を慕ったが、堀藤次の妻が 「お産の直後だから」 といって、あれこれと諌めて引き止めたので、起き出た妻戸の入り口に倒れ伏して泣き悲しんだ。

禅師ぜんじ由比ゆひはま に尋ね、むまあと を尋ぬれども、おさな き人の死骸しがい もなし。
今生こんじょうちぎり りこそ少なからめ、むな しき姿を今一度見せ給へ」
と 悲しみつつ、なぎさ を西へ向きてあゆ みける所に、稲瀬いなせ 川の河端かわばた に、はまいさごたわむ れて、幼き者二三人遊びけるに ひて、
むま に乗りたるおとこ の、 『くが』 と泣きつる子や てつる」 と思ひければ、
たれ とは見分けねども、あのみぎは に積みて候ふ材木ざいもく の上にこそ投入なげい れ候ひつれ」
とぞ言ひけるが、堀藤次ほりのとうじ下人げにんもつ て見せければ、只今ただいま までつぼ む花のよう なりつる幼き人の、何時いつ しか今は、引きかへたるむな しき姿尋ね出だして、磯禅師いそのぜんじに見せければ、押巻おしま きたるきぬ の色は変はらねども、あと なき姿となりはてけるこそ悲しけれ。

禅師は由比の浜に尋ね出て、馬の通った跡を探し求めたが、幼児の死骸はどこにも見当たらない。
「この世の縁こそ薄いとしても、死骸をせめてもう一度お見せ下さい」
と泣き悲しみながら渚を西に向かって歩いているうちに、稲瀬川の川端で、幼児が二、三人砂遊びに興じているのに出会ったので、
「馬に乗った男が、 『おぎゃあ、おぎゃあ』 と泣いている子を捨てなかったか」 と尋ねると、
「誰かははっきりわからないが、あの波打際に積んである材木の上に投げ入れたよ」 と言った。
そこで堀藤次が下人をやって見せたところ、たった今まで花の蕾のようであった幼児が、いつのまにかすっかり変わりはて亡骸になっているのを尋ね出して、磯禅師に見せた。
見ると、体を巻き包んであった着物の色は元のままだが、全く見る影もない無慚な姿になり変ってしまっていたのは、悲しい事であった。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ