堀藤次御産所
に畏
まりて申しけるは、
「御産のすなはち申せと仰せ蒙りて候ふ間
、只今
参りて申し候はんずる」
と申しければ、とても遁
るべきならねば、 「疾
く疾
く」 とぞ言ひける。 |
堀藤次が、お産所に来て畏まって、
「ご出産の状況を申せと仰せがございましたので、これから参上して申し上げようと存じます」
と言ったので、とても免れるわけにはゆかないことでもあり、 「早く早く」 といった。
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親家
参りて、この由
を申したりければ、安達
新三郎を召して、
「堀藤次が館
に静が産したり。頼朝
が鹿毛
の馬
に乗りて、由比
の浜にて失
ふべし」
と仰せられければ、清経
御馬
給はりて打出
で、堀藤次が館
へ入りて、禅師
に向かひて、
「鎌倉殿の御使ひにて参り候。幼
き人若君
にて渡らせ給ひ候ふ由
聞召
して、抱
き初
め参らせよと御諚
にて候」 と申しければ、
「あはれはかなき清経
かな。賺
さば実
と思ふべきかや。親
をさへ失
へと仰せられし敵
の子の、たまたま男子
なれば、疾
く失
へとこそあるらめ。暫
し最後
の出立
せさせん」
と仰せられければ、清経
岩木ならねば、流石
哀れに思ひけるが、心弱
くては叶
ふまじとて、
「事々
しく候ふ御出立
かな」 とて、産所
に走り入りて、禅師が抱
きたりけるを奪ひ取りて、脇
に挟
み馬
に打乗
り、由比
の浜
にぞ馳
せ出でける。
磯禅師悲しみけるは、
「存
へて見せ給へと申さばこそ僻事
ならめ、今
一度幼
き顔を見せ給へ」 と悲しみければ、
「見てはなかなか思ひ重なり給ひなんずる」 と、情
なき気色
にもてなして、霞
を隔てて遠ざかる。 |
親家が参上してこの事を申し上げたところ、鎌倉殿は安達新三郎を呼んで、
「堀藤次の邸で静が出産を致した。頼朝の鹿毛 (カゲ) の馬に乗って行き、由比の浜で殺してしまえ」
と おっしゃったので、清経は御馬を拝借して御所を出、堀藤次の邸に入って、禅師に向かって、
「鎌倉殿の御使者として参りました。幼児が若君でいらっしゃるとの旨をお聞きになり、抱き初めをして差し上げよとのお言葉でござる」
といった。
禅師は、
「ああ馬鹿げた事を言う清経よ。だませばこちらがすぐ真に受けるとでも思っているのであろうか。親までも殺せとおっしゃった敵の子。それもはからずも生まれたのが男子だから、すぐ殺せということに違いない。しばらく待ってください。最後の装いをさせてやりましょう」
とおっしゃった。
清経も生命のない岩や木ではないので、さすがに哀れに思ったが、弱気であってはならぬと気をとり直し、
「大袈裟なことでござる、お支度など」 といって産室に走り入り、禅師が抱いていた幼児をひったくって脇にかかえ、馬にまたがって由比の浜に向かって駆け出した。
磯禅師は悲嘆に暮れ、
「生きのびさせて会わせてほしいというなら、不都合ともいえよう。そうではない。もう一度だけ、どうか幼顔を見せて下さい」
と悲しんだが、
「見るとかえって悲しみが増すばかりでござろう」 とすげない様子をわざと装い、霞のかなたに遠ざかって行ってしまった。 |
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『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ
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