〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/04 (土) しずか 鎌 倉 へ 下 る 事 (七)

堀藤次ほりのとうじ御産所ごさんじょかしこ まりて申しけるは、
「御産のすなはち申せと仰せ蒙りて候ふあいだ只今ただいま 参りて申し候はんずる」
と申しければ、とてものが るべきならねば、 「 く」 とぞ言ひける。

堀藤次が、お産所に来て畏まって、
「ご出産の状況を申せと仰せがございましたので、これから参上して申し上げようと存じます」
と言ったので、とても免れるわけにはゆかないことでもあり、 「早く早く」 といった。

親家ちかいえ 参りて、このよし を申したりければ、安達あだちの 新三郎しんざぶろうを召して、
堀藤次ほりのとうじやかたしずかが産したり。頼朝よりとも鹿毛かげむま に乗りて、由比ゆい の浜にてうしな ふべし」
と仰せられければ、清経きよつねむま 給はりて打出うちい で、堀藤次ほりのとうじやかた へ入りて、禅師ぜんじ に向かひて、
鎌倉殿かまくらどのの御使ひにて参り候。おさな き人若君わかぎみ にて渡らせ給ひ候ふよし 聞召きこしめ して、いだ め参らせよと御諚ごじょう にて候」 と申しければ、
「あはれはかなき清経きよつね かな。すか さばまこと と思ふべきかや。おや をさへうしな へと仰せられしかたき の子の、たまたま男子なんし なれば、とくうしな へとこそあるらめ。しば最後さいご出立いでたち せさせん」
と仰せられければ、清経きよつね 岩木ならねば、流石さすが 哀れに思ひけるが、心弱こころよわ くてはかな ふまじとて、
事々ことごと しく候ふ御出立いでたち かな」 とて、産所さんじょ に走り入りて、禅師がいだ きたりけるを奪ひ取りて、わきはさむま打乗うちの り、由比ゆいはま にぞ せ出でける。
磯禅師いそのぜんじ悲しみけるは、
ながら へて見せ給へと申さばこそ僻事ひがごと ならめ、いま 一度いとけな き顔を見せ給へ」 と悲しみければ、
「見てはなかなか思ひ重なり給ひなんずる」 と、なさけ なき気色けしき にもてなして、かすみ を隔てて遠ざかる。
親家が参上してこの事を申し上げたところ、鎌倉殿は安達新三郎を呼んで、
「堀藤次の邸で静が出産を致した。頼朝の鹿毛 (カゲ) の馬に乗って行き、由比の浜で殺してしまえ」
と おっしゃったので、清経は御馬を拝借して御所を出、堀藤次の邸に入って、禅師に向かって、
「鎌倉殿の御使者として参りました。幼児が若君でいらっしゃるとの旨をお聞きになり、抱き初めをして差し上げよとのお言葉でござる」 といった。
禅師は、
「ああ馬鹿げた事を言う清経よ。だませばこちらがすぐ真に受けるとでも思っているのであろうか。親までも殺せとおっしゃった敵の子。それもはからずも生まれたのが男子だから、すぐ殺せということに違いない。しばらく待ってください。最後の装いをさせてやりましょう」 とおっしゃった。
清経も生命のない岩や木ではないので、さすがに哀れに思ったが、弱気であってはならぬと気をとり直し、
「大袈裟なことでござる、お支度など」 といって産室に走り入り、禅師が抱いていた幼児をひったくって脇にかかえ、馬にまたがって由比の浜に向かって駆け出した。
磯禅師は悲嘆に暮れ、
「生きのびさせて会わせてほしいというなら、不都合ともいえよう。そうではない。もう一度だけ、どうか幼顔を見せて下さい」
と悲しんだが、
「見るとかえって悲しみが増すばかりでござろう」 とすげない様子をわざと装い、霞のかなたに遠ざかって行ってしまった。
『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ