〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/03 (金) しずか 鎌 倉 へ 下 る 事 (六)

かくて月日重なれば、その月にもなりにけり。しずか 思ひのほか に、堅牢地神けんろうじしんあわれ み給ひけるにや、痛む事もなく、その心付こころつ くと聞きて、堀藤次ほりのとうじ妻女さいじょ禅師ぜんじ 共にあつか ひけり。ことやす くしたりけり。おさな き人の嘆き給ふ声を聞きて、禅師ぜんじ あまりのうれ しさに、しろきぬ押巻おしま きて見れば、祈りはむな しくて、三身さんしん 相応そうおう したる若君わかぎみ にてぞおはしける。ただ一目見て、 「あな心 や」 とて打臥うちふ しけり。

いよいよ産月 (ウミズキ) になった。堅牢地神 (ケンロウジシン) も憐れみをおかけになったのであろうか、靜が案外に痛みもひどくなく、産気づいたと聞いて、堀藤次の妻と禅師が一緒にこれをとりあげた。とりわけ安産であった。幼児のあげる泣き声を聞いて、禅師はあまりの嬉しさに白い絹に包んで抱き上げ、幼児を見ると、祈りも空しくすべて立派に整った若君であった。ただひと目見て、禅師は 「ああ情けない」 といって泣き伏してしまった。

静これを見て、いとど心も消えて思ひけり。
男子なんし か女子候ふや」 と禅師ぜんじ  に問へども、答へねば、母のいだ きたる子を取りて見れば、男子おのこご なり。
一目ひとめ 見て 「あな心 や」 とて、きぬ 引きかず きて打臥うちふ しぬ。
ややあって、 「如何いか なる十あくぎゃく の者の、たまたま人界じんかいしょう を受けながら、月日の光をだにもさだ かにも見奉らずして、生まれて一日一夜をだに過ごさで、やがて冥土めいど に帰らん事こそ無慚むざん なれ。前業ぜんごう 限りある事なれば、世をも人をもうら むべからずと思へども、いま はの名残なごり に別れの悲しきぞや」
とて、そで を顔に押当おしあ ててぞ泣き居たる。しずか禅師ぜんじ 二人して、取違とりちが へてぞ悲しみける。
静はこの様子を見て、まったく心も消える思いであった。
「男ですか、女でございますか」 と禅師に問いかけるが、答えがないので、母が抱いている子を取り上げてみると、男児であった。
静はひと目見て、 「ああ情けない」 といって、衣で顔を隠して泣き伏してしまった。
しばらくして、 「一体どんな十悪五逆の重罪を前世で犯した者であったのか、たまたまこの人間界に生を受けながら、月や日の光をさえはっきりとご覧にもなれず、生まれて一日一夜をすら過ごすことも出来ずに、すぐ冥土 (メイド) へ帰って行ってしまうなんて、残酷です。前世でつくった業 (ゴウ) にはきまった定めがあることなので、世をも人をも恨んではいけないとは思いますが、今際 (イマワ) の名残 (ナゴ) り惜しさに別れが悲しゅうございます」
といって、静は袖を顔に押し当てて泣いていた。静と禅師の二人で、こもごも抱き上げては嘆き悲しんだ。
『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ