梶原
はこの事を聞きて、つい立ちて御前
に参り畏
まりてゐたりければ、人々これを見て、
「あな心憂
や、また如何
なる事を申さんずらん」 と耳を欹
ててぞ聞ける。
「静
御前
の事承り候。幼
き人こそ限り候はんずれ、母
御前
をさへ失ひ参らせ給はん、その御罪
争
でか遁
れさせ給ふべき。胎内に
宿
り十月を待つもなほ如何
にぞやと存
じ候へば、源太
が館
を御産所
と定めて、若君
姫君
の左右
を申すべし」
と申したりければ、御前
なる人々、袖
を引き膝
を差し、
「この世の中は如何様
末代
といひながら、徒事
はあらじ。これ程
に梶原
人の為
にによき事申したる事はなし」 とぞ申し合へりける。 |
梶原はこの言葉を聞くと、さっと席を立って頼朝の御前に行き畏まって坐ったので、
人々はこれを見て、
「ああ不愉快なことよ、またどのような事を言おうとするのか」 と耳を欹ててその言うのを聞いた。
「静御前の事、承りました。問題は幼児だけに限ることでございましょう。母御まで殺してしまわれたら、罪障をどうしても免れることがおできになりますまい。胎内に宿る十か月ここで待つのもどうかと存じますので、私の息子の源太の邸をお産所と決めて、お生まれになったのが若君か姫君か、その結果をご報告申し上げましょう」
という言葉であったので、御前にいた人々は袖を引き膝をつついて、
「この世の中はまさしく末の世とはいうものの、これはただ事ではない。これほどに梶原が他人の為によい事を言ったことはない」
と互いに言い合った。
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静これを聞き、
「都
を出でし時よりして、梶原といふ名を聞くだにも心憂
かりしに、況
して景時
が宿所にありて、産の時、自然
の事あらば、黄泉
の障
りともなりぬべし。あはれ同じくは、堀
の殿
の承るならば如何
嬉
しかりなん」
と、工藤
左衛門
して申したりければ、鎌倉殿の見参
に入りたりければ、
「理
なれば、易
き事なり」 と仰せられて、堀藤次に返し賜
ぶ。 「時にとりては親家
が面目
」 とぞ思ひける。堀藤次急ぎ館
へ帰りて、妻女
に会ひて言ひけるは、
「梶原
既
に申し給ひて候ひつるに、静
御前
の訴訟
にて、親家
に返し預かり参らせ候ひぬ。の奥州にて聞召
さるる所もあり。これにてよくよく労
り参らせよ」
とて、我は傍
らに候ひて、館
をば御産所
と名付
けて、心ある女房
達
五六人付け奉りてぞもてなしける。
磯禅師は都の仏神
にぞ祈り申しける。 「稲荷
、祗園
、賀茂
、春日
、日吉山王七社
、八幡大菩薩
、静が胎内
にある子を、たとひ男子
なりとも女子となして給
べ」 とぞ申しける。 |
静かがこの言葉を聞いて、
「都を出立した時以来、梶原という名前を聞くのさえ嫌でございましたのに、その上影時の宿所に預けられて、お産の時に万一の事でもありましたなら、成仏の妨げともばりましょう。ああ同じ事ならば、堀の殿様がそのご下命をお受け下さるなら、どんなにか嬉しい事でございましょう」
と 工藤左衛門を介して申し上げたので、鎌倉殿のお耳に入れたところ、
「道理であるから、たやすい事だ」 とおっしゃって、堀藤次にその身柄をお返し下さった。
「その場にとっては親家の名誉だ」 と堀藤次は思った。
堀藤次は急いで邸に帰り、妻に向かってこう言った。
「梶原がすでに申し出てお許しを頂いたのに、静御前の訴えで、この親家にお返し頂きお預かりする事になった。判官殿が奥州でお聞きになる事もある。この家で充分お世話申し上げよ」
といって、自分は脇の方にいて、邸をお産所と名付け、よく気のつく女房たちを五、六人おつけ申して大切に扱った。
磯禅師じゃ次の如く都の神や仏にお祈りした。
「伏見の稲荷、祗園社、賀茂神社、春日大社、日吉山王大社、八幡大菩薩よ、静の胎内にいる子を、たとい男子であってもどうか女子にして下さい」
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『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ
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