鎌倉殿仰せられけるは、 「殿上人には見せ奉らで、など九朗には見せけるぞ。その上
天下
の敵になり参らせたる者にてあるに」 と仰せられければ、禅師
、 「静
十五の年
までは多くの人仰せられ候ひしかども、内々心も候はざりしかども、院
の御幸
に召具
せられ参らせて、しでの池
の雨の祈りの舞の時、判官
に見
え初
められ参らせて、堀川
の御所
に召され参らせ候ひしかば、ただ仮初
の御愛
しかなと思ひ候ひしに、わりなき御志にて、人人数多
渡らせ給ひしかども、所々
の住居
にてこそ渡らせ給ひしに、これは堀川
の殿
に取
置
かれ参らせしかば、清和天皇の御末
、鎌倉殿の御弟
にて渡らせ給へば、これこそ身にとりては面目
と思ひ候ひしか。今
かかるべしとは予
ては夢にも争
でか知り候ふべき」 と申しければ、人々これを聞きて、 「勧学院の雀
は蒙求
を囀
るといしう申したるものなか」 と褒
めける。 |
鎌倉殿が禅師に向かって 「殿上人に娶らせずに、なぜ九朗に娶らせたのか。それも、朝敵となった者であるというのに」
とおっしゃると、禅師は、 「靜を十五の年までは多くの人々がご所望あそばされましたが、内々差し上げる気もございませんでした。ところが法皇の御幸があった際お召し連れていただき、しでの池での雨乞いの祈りのための舞が行われました時、判官に見初められ申して、堀川の御御所にお召し出しになりました。ほんの一時的なご寵愛であろうかと思っておりましたところ、非常なご執心で、ご寵愛をなさっていた方が大勢おありであったのに、それもあちこちのお住居においでになったのに、この娘を堀川の御殿にとめ置かれあそばしたので、清和天皇の御末裔、鎌倉殿の御弟でいらっしゃることとて、それこそ私どもにとっては名誉なことと思っておりました。それが今こんな身の上になろなどとは、以前はどうして夢にも知ることができたでございましょうか」
といったので、人々はこれを聞いて、 「勧学院の雀は蒙求を囀るとは、なるほどよくいったものよ」
といって禅師の答えを褒めた。
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「さて九朗が子
を妊
じたる事は如何
に」
「それは世に隠れなき事にて候へば、陳
じ申すに及ばず。来月には御産にて候ふべし」 とぞ申しける。
鎌倉殿梶原
を召して、
「ああ恐ろし、それ聞け景時
、既
にえせ者
の種
継がぬ先に、靜
が胎内
を開
けさせて、子
を取りて失
へ」 とぞ仰せられける。
靜
も禅師
もこれを聞きて、手に手を取組
みて、顔に顔を合はせて、声も惜しまず悲しみけり。
二
位
殿
も聞召
して、静
も心の中
、さこそと思ひやられて、御涙を流させ給ふ。
幔幕
の内
に落涙
の音夥
し。忌々
しくぞ聞こえける。
侍共
承りて、 「かかる情
なき事こそなけれ。さらぬだに東国
は遠国
とて、恐ろしき事には言はるるに、さしもの靜
を失ひて名を流し給はん事こそ浅ましけれ」 とぞ呟
き合ひける。
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「ところで、九朗の子を懐妊したというが、それはどうなのか」
「それは世間でもよく知っている事でございますから、今さら隠し立て申し上げるまでもございません。来月には出産いたすことになりましょう」
といった。
鎌倉殿は梶原を呼んで、
「ああ恐ろしいことよ。よく聞け景時、あの馬鹿者の血統をまだ受け継がぬ前に、静の胎内を切り開いて、子を取り出して殺してしまえ」
と仰せになった。
靜も禅師もこの言葉を聞いて、手と手を互いに握りしめ、顔と顔とを寄せ合って、声も惜しまずに泣き悲しんだ。
二位殿もこれを聞きになって、静の心中をさぞかしと同情され、お涙を尾長氏になった。
幔幕の内部からはすすり泣きの音が激しく聞こえ、いまわしい空気となった。
侍たちもこのやりとりを聞いて、「こんな非情な話はない。それでなくても、東国は遠く離れた辺境だということで、恐ろしい所のようにいわれているのに、あれほど評判の高い靜を殺して、ますます悪名をお立てになるのは嘆かわしいことよ」
と互いにつぶやき合った。
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『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ
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