北条殿、堀藤次打連
れて、院
の御所
に参じて、この由
を申しければ、院宣
には、 「先
の勧修坊のごとくはあるべからず。時政
が計らひに尋ねだして、関東へ下
すべし」 と仰せ下
されければ、北白川に尋ねけれども、終
に遁
るべきにはあらねども、一旦
の思ひの悲しさに、法勝寺なる所に隠し置きたり。世
に隠れなかりければ、尋ね出だして、さわの禅師
が許
に具足
して、六波羅
へ行く。受取りて下
らんとぞしける。
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北条殿が、堀藤次を伴って院の御所に参上して、
「以前の勧修坊のような場合と違う。時政の計らいで探し出し、関東へ下向させよ」
とご下命になったので、北白川を探索した。結局は逃れることは出来ないとは知りつつも、一時の悲しみを免れるために、母は靜を法勝寺という所に隠しておいた。しかし世間にその噂が広がっていたので、すぐ探し出されて、母の禅師のもとに連れ戻され、やがて六波羅へ移された。堀藤次がその身柄を受け取って、鎌倉へ下ろうと支度をした。
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磯禅師が心の中
こそ無慚
なれ。共
に下
らんとすれば、目前
憂目
を見んずらんと悲しく、また留
まらんとすれば、ただ一人
差
放
ちて、遥々
下
さんこともいたはしく、人の子
は五人十人持ちたるも、一人欠
くれば嘆くぞかし。ただ一人
持ちたる子
なれば、留
まりても堪
へてあるべしとも覚えず。さりとても愚かなる子かや。形
は王城
に聞こえたり。能
は天下第一の美女
なり。ただ一人下
さん事の悲しさよ。預
り武士の命
をも背
きて、徒跣
にてぞ下
りける。幼少
よりして、前
にありける、催馬楽
、其駒
と申しける、二人の美女
も、主
の名残
を惜しみて、泣く泣く連れてぞ下
りける。親家
も道
すがらやうやうに労
りてぞ下
りける。 |
磯禅師の心中は、痛ましい限りであった。靜と一緒に下ろうとすれば、眼前に娘の辛い有様を見るであろうとそれが悲しく思われ、また都にこのまま残ろうとすれば、娘をただ一人手放してはるばる遠国に下向させる事が、いかにもかわいそうでならない。人の子は、たとい五人十人もっていたとしても、その中のたった一人が欠けても嘆くのが人情だ。自分にとって静はたった一人もった子だから、このまま都に残ったとしても、とても我慢が出来そうにない。それに静は、どうして愚かな子であろうか。容姿は京都中に名高く、その芸の腕前は天下第一と謳われた美女である。それをたった一人で下向させることは悲しみに堪えない。そう思って、警護の武士の命令にも背き、跣
(ハダシ) のままで後について下った。幼少の頃から禅師の側に仕えていた催馬楽、其駒という二人の下女も、主人との別れを惜しんで、泣く泣く連れ立って下って行った。そこで堀藤次親家も、道中いろいろと労わりながら下ったのであった。
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『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ
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