〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/01 (水) しずか 鎌 倉 へ 下 る 事 (二)

北条殿ほうじょうどの堀藤次ほりのとうじ打連うちつ れて、いん御所ごしょ に参じて、このよし を申しければ、院宣いんぜん には、 「さき勧修坊かんじゅぼうのごとくはあるべからず。時政ときまさ が計らひに尋ねだして、関東へくだ すべし」 と仰せくだ されければ、北白川きたしらかわに尋ねけれども、ついのが るべきにはあらねども、一旦いつたん の思ひの悲しさに、法勝寺ほうしょうじなる所に隠し置きたり。 に隠れなかりければ、尋ね出だして、さわの禅師ぜんじもと具足ぐそく して、六波羅ろくはら へ行く。受取りてくだ らんとぞしける。

北条殿が、堀藤次を伴って院の御所に参上して、 「以前の勧修坊のような場合と違う。時政の計らいで探し出し、関東へ下向させよ」 とご下命になったので、北白川を探索した。結局は逃れることは出来ないとは知りつつも、一時の悲しみを免れるために、母は靜を法勝寺という所に隠しておいた。しかし世間にその噂が広がっていたので、すぐ探し出されて、母の禅師のもとに連れ戻され、やがて六波羅へ移された。堀藤次がその身柄を受け取って、鎌倉へ下ろうと支度をした。

磯禅師いそのぜんじが心のうち こそ無慚むざん なれ。ともくだ らんとすれば、目前まのあたり 憂目うきめ を見んずらんと悲しく、またとど まらんとすれば、ただ一人ひとり さし はな ちて、遥々はるばる くだ さんこともいたはしく、人の は五人十人持ちたるも、一人 くれば嘆くぞかし。ただ一人ひとり 持ちたる なれば、とど まりても へてあるべしとも覚えず。さりとても愚かなる子かや。かたち王城おうじょう に聞こえたり。のう は天下第一の美女びじょう なり。ただ一人くだ さん事の悲しさよ。あずか り武士のめい をもそむ きて、徒跣かちはだし にてぞくだ りける。幼少ようしょう よりして、まえ にありける、催馬楽さいばら其駒そのこま と申しける、二人の美女びじょう も、しゅ名残なごり を惜しみて、泣く泣く連れてぞくだ りける。親家ちかいえみち すがらやうやうにいたわ りてぞくだ りける。

磯禅師の心中は、痛ましい限りであった。靜と一緒に下ろうとすれば、眼前に娘の辛い有様を見るであろうとそれが悲しく思われ、また都にこのまま残ろうとすれば、娘をただ一人手放してはるばる遠国に下向させる事が、いかにもかわいそうでならない。人の子は、たとい五人十人もっていたとしても、その中のたった一人が欠けても嘆くのが人情だ。自分にとって静はたった一人もった子だから、このまま都に残ったとしても、とても我慢が出来そうにない。それに静は、どうして愚かな子であろうか。容姿は京都中に名高く、その芸の腕前は天下第一と謳われた美女である。それをたった一人で下向させることは悲しみに堪えない。そう思って、警護の武士の命令にも背き、跣 (ハダシ) のままで後について下った。幼少の頃から禅師の側に仕えていた催馬楽、其駒という二人の下女も、主人との別れを惜しんで、泣く泣く連れ立って下って行った。そこで堀藤次親家も、道中いろいろと労わりながら下ったのであった。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ