〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/01 (水) しずか 鎌 倉 へ 下 る 事 (一)

さても大夫たいふ 判官ほうがん 四国へおもむ き給ひし時、六人の女房にょうぼう たち白拍子しらびょうし五人、そう じて十一人のなか に、こと に御志深かしは、北白川きたしらかわ磯禅師いそのぜんじむすめしずか といふ白拍子しらびょうし吉野よしのおく まで せられたりけるが、都へ帰され奉りて、母の禅師ぜんじもと にぞ候ひける。

ところで、大夫判官 (義経) が四国へお向かいになった時、六人の女房達と白拍子五人、計十一人お連れになった中で特にご寵愛が深かったのは北白川の磯禅師の娘、静という白拍子で、吉野山の奥まで伴われたが、そこから都に帰されて、母の禅師のもとに身を寄せておられた。

判官殿ほうがんどのの御懐妊かいにん して、近く産すべきにてありしを、六波羅ろくはら にこの事聞こえて、北条殿ほうじょうどの江馬えまの 小四郎を召して、仰せあはせられけるは、 「関東へ申させ給はでかな ふまじ」 とて、早馬はやうま って申されたりければ、梶原かじわら を召して、 「九朗が思ひ者に、しずか といふ白拍子、近く産すべきにてありなん。如何いかが あるべき」 と仰せられければ、景時かげとき 申しけるは、 「異朝いちょうとぶら ひ候ふにも、かたきにん じて候ふおんな をば、こうべ を砕き、なつきを取り、ほねひし ぎ、ずい を抜かるる程の罪過ざいか にて候ふなれば、若君わかぎみ にておはしまし候はば、判官殿ほうがんどの 参らせ候ふとも、また一門に 参らせさせ給ひ候ふとも、愚かなる人にてはよもおはしまし候はじ。君の御世のあいだ何事なにごと か候ふべき。公達きんだち の御行方ゆくえ こそ覚束おぼつか なく思ひ参らせ候へ。都にてこの人内侍所ないしどころの御うつはものに召され候ふなるに、宣旨せんじ 院宣いんぜん を御申し候ひてこそくだ し奉り給ひ候ひて、御産のてい をこれにて御覧じ候ひて、若君わかぎみ にて渡らせ給はば、君の御計らひにて候ふべし。姫君ひめぎみ にて渡らせ給はば、母御前ははごぜんに参らせ給ふべし」 と申しければ、 「さらば」 とて、堀藤次ほりのとうじを御使ひにて、都へのぼ せられけり。

判官殿の御子を妊 (ミゴモ) っていて、近いうちに出産する予定であったのを、六波羅にその噂が伝わった。
北条殿は、江馬小四郎 (義時) を呼んで、ご相談された結果、 「関東へ報告せぬわけにはゆくまい」 という事になって、早馬をもってこの旨を急報された。
そこで鎌倉殿は梶原を呼んで、 「九朗の愛妾の靜という白拍子が、近く出産するということだ。どうしたらよかろう」 とおっしゃると、景時はこうお答えした。
「外国の例を考えてみましても、敵の子を妊りました女は、頭を砕き脳を取り出し、骨を押しつぶし、その骨髄を引き抜かれるほどの罪過でございますから、もし生まれたのが若君でございましたなら、たとい判官殿に似ておられようと、また源氏一門の方々に似ておられようと、いずれにせよ愚かな人ではよもやございますまい。これを生かしておかれても、殿のご治世中は恐らく何事もございませんでしょうが、お子様達のご将来が心もとなく思われます。都で、このお人は内侍所のお守り役に召されたということなので、宣旨院宣を申請してその身柄を鎌倉にお移し申し、ご出産の様子をここでご覧あそばして、もし若君でおありならば殿のご処置となされませ。またもし姫君でおありなら、母御前にお与えになるがよいでしょう」 といって、堀藤次をお使いとして都にお差し向けになった。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ