〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/06/30 (火) 勝 利 の 戦 列

駿・遠・参の太守、今川治部大輔義元は、ついに信長の野武士の戦術を真似た奇襲にあって、毛利新助の指一本を食いちぎったまま田楽狭間の露と消えた。
「今川屋形の首級、毛利新助秀高討ち取ったり!」
その声も、まだ雷雨の中であったが、それを合図のようにして少しずつ雨も風も勢いを落とした。
むろんここだけですぐ兵を納めるわけには行かない。雪崩を打って桶狭間に逃げる敵を織田の逞兵は、思うままに駆け散らして、総大将義元の戦死をふれさせた。
この時、あたりの死傷およそ二千五百人。中でも松井胸宗信率いる部隊のごときは、生き残ったもの十余人という惨憺 (サンタン) たるもので、生き残った者も義元戦死の知らせを聞くと、茫然としてなすところを知らなかった。
しかもその原因は義元が、ふと田楽狭間に輿をとめる気になったことにあったのだ。その田楽狭間は、一丁四方とせいぜい一万五、六千坪の小盆地。そこへ五千の軍勢をとどめておいて、小芋でもふみ潰すように潰されてしまったのだ。
何んという大きな皮肉であろうか。
もし義元がここで輿をとめさせず、そのまま大高城へ入っていたら、恐らく信長の歴史も、義元の歴史も、いや日本の歴史までが大きく変わっていたことであろうのに・・・・
が、すべては終った。
信長はついに、義元の性格、欠点と、細かい計算を積み重ね、その上天候の味方を得て、一気にこれを粉砕し去ったのだ。
「よし、もはや逃ぐる敵は追うな。ひとまず、間米山 (マゴメヤマ) へ引きあげよ」
敵を桶狭間まで追い込むと、信長はサッと馬を返して大沢村の近く、間米山に引きあげて、ここではじめて凱歌をあげた。
恐らく、この時ほど信長の家臣が、その主君の偉大さを想うたことはあるまい。
「おう!」
「おう!」
「おう!」
切っ尖を空へ揃えて勝どきあげた時は、すでに青空が頭上にあった。
時刻は七ツ (午後四時) 前。
わずかに二時間足らずで、この決定的な勝利をつかみ、宿敵今川義元の運命も野望も一挙に葬り去ってしまったのだ。
洗い出された間米山の若葉の下で、義元の首は、毛利新助の手によって信長の実検に供えられた。
そのとき担ぎ出されたのは、第一に義元へ槍をつけた重傷の服部小平太。小平太の乗せられて椅子戸板のわきには、今日義元の差料 (サシリョウ) だった松倉郷の義弘の脇差と二尺六寸の宗三左文字がおかれてあった。
これだけは文捕品として運ばれて来たものらしい。
信長は射ぬくような眼で、じっと義元の首を見つめていたが、それから、
「フフン」
と軽く笑った。
「お歯ぐろをつけ、眉をおいたら、人の指など喰いきらぬものだ。よし、その首、おれの太刀の尖に貫いておけ」
新助にそう命じてから、すっと立って、戸板に近づいた。
そして、服部小平太の顔をのぞき込むようにしながら、
「梁田政綱!」
と、大声で叫んだ。
「はッ」
政綱が、これも草ずりいっぱいに泥のはねをあげて前へ出ると、
「改めて沙汰するが、今日の功名第一はその方じゃ。よくぞ田楽狭間に義元の輿を停めたを知らせて来た」
「は・・・・」
政綱は眼をパチパチしながらあたりを見た。
そのはずだった。今までの例によれば、敵の大将の首級をあげた毛利新助の手柄が第一と評価されるに決まっていたのだ。
木下藤吉朗だけが、意味ありそうにニヤリと政綱に笑って見せた。
「次に、服部小平太」
「は・・・はいッ」
「動かずともよい。傷の手当を充分にせよ。本日の功名、第二番にその方、よくぞ臆せず真っ先に槍をつけた」
「は・・・・」
「第三は毛利新助、これからもあること。みな、わが功名だけを志して、全軍の勝利を考えない戦いぶりは過去のものと思うがよいぞ」
「ははッ」
「第四位以下は城へ戻ってからのこと。よいか、本日陽のあるうちに、熱田の社前に整列し、戦勝を奉じて帰途につく。町人百姓が案じてくれているゆえ、この義元の首を見せながら清州の城へ入るぞ。急げ」
「ははッ」
相変わらず、鞭のおどるような、魚の跳ねるような信長の指図ぶりだった。
「新助、藤吉朗、大儀であった。その方たちはその分捕品の太刀と脇差をささげて、おれの後へついて来い」
のちにいたって、二尺一寸五分に磨きあげられ、
「──永禄三年 (1560) 五月十九日、義元被討捕時 (ウチトラレシトキ) 、所持刀」
と、中心 (ナカゴ) の指表 (サシオモテ) に彫りまた指裏 (サシウラ) に織田尾張守信長と刻ませて、記念に愛用された宗三左文字は、実は、今川義元のもとへ、武田信玄の姉が輿入れする時、武田家から贈られたという由緒ある名刀だった。
真っ先に、太刀の尖へ義元の首級を刺した信長。
次に宗三左文字をささげた毛利新助。
さらに次には、今日一日くつわを取ってはせ廻った木下藤吉朗が、金色さんぜんとした飾りの松倉郷の脇差をささげてこんどは馬上で従がっている。
その一行が熱田の社前にたどりついた時には、まだ町民百姓は、この晴れがましい戦勝を知らなかった。
しかし、神前に戦勝を報じ、いよいよ清洲へ引き上げる時には、もうあたりはどこもかしこもいっぱいの人であった。
「見ろ。やっぱり勝ってのご凱旋じゃ。なみの大将ではないぞ」
「全くこれは鬼神じゃのう」
「あれが、義元の首じゃそうな」
「ほんに、お歯ぐろをつけている。眉もおいてござるなも」
「あれで四万も五万もの家来を連れていながら負けるとはまた、何ということじゃら」
そのあとから偽兵として戦場に赴いた連中が、奇妙な声をあげて手をふるので、時々大きな歓呼の声が爆発する。
信長が義元の首をかざして凱旋するという噂は、先発して来ている今川勢の先鋒を、瞬く間に街道のそこここで霧消せしめた。
信長が清洲の城へ戻るとすれば、その間隙こそ、生き残った者が、東へ引きあげ得る唯一の好機だったからである。十二刻 (二十四時間) にして、東海道から尾張までの空気は一変してしまった。
「勝ち大将に花ふらせ!」
時々両側の人波の間から、子供の黄色い声とともに、ぼたんや、あやめの花が投げかけられる。
しかし、その中を、信長はぐっと一文字に唇を結んだまま笑いもせず通ってゆく。
あるいは、わが切っ尖にかざされてある義元の首級に、武将の感慨をやっているのか、それとも遥かな前途に、おのが希望の虹を見つめているのか・・・・
そう云えば残照の中を粛々と凱旋してゆく人々の表情は、歓喜ばかりとは限らなかった。
もっと厳粛な人間の生命のはかなさが、そろそろ彼らを捕らえ出しているのかも知れない。
ただ両側の群集だけは、次々に花火のように湧き立って戦列を迎えにゆく。
信長は、塑像のように、義元の首とおのが顔をならべてしずかに残影の中をすすんだ。

『織田信長 (二)』 著:山岡 荘八 発行所:株式会社講談社 ヨ リ