〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/06/30 (火) 田 楽 ヶ 窪 へ

信長の率いる一千の逞兵 (テイヘイ) は篠 (シノ) つく雨の中を太子ヶ根に急いだ。
恐らく敵は善照寺の砦に残った一隊と、それに合する偽兵の群れを見て、その主力がはるかに北の畑道をまわっていることなど想像も出来なかったに違いない。
しかも不意に空を蔽った黒雲は、あたりを日暮れのような暗さに変え、疾風と豪雨と、眼のくらむような紫電と雷鳴とで信長を掩護 (エンゴ) しているかに見える。
この時の信長の胸中を去来する感慨はどのようなものであったであろうか・・・・?
すべてか無か?
尾張の大うつけで終るか、それとも天下を掌握するか?
つねにそれをめざして、あらゆる苦心を重ねて来た彼の上に、いまや前半生総決算の時期はおとずれて来ているのだ。
家中の粛正。
野武士との連繋。
籠城の偽装。
礼の者の利用。
それらは、いま一様に成功しかけているかに見えるが、何分にも相手は大きい。
信長自身の率いる逞兵 は、善照寺にその大半を割かねばならず、せいぜい一千に足りないのに、目ざす田楽ヶ窪には、五千の兵がたむろしている。
万一奇襲に手間どって、その行動を察知されたら、敵の五千はただちに八千となり、一万となり、一万五千となり、二万となる。
信長がわざわざ善照寺から相原の北方を大きく迂回したのはそのためだった。
まっすぐ鎌倉街道をすすんだら距離は三分の一ですむのだが、それでは衝突以前に、必ず敵に発見される。そこで吹き千切る南風を考慮に入れ、遠く風下をめぐって、人馬の足音をひた隠しに隠しながら進んだのだ。
こうして、田楽狭間の北側に立った太子ヶ根山にたどりついたのは正午少し廻った頃。
ここまで来ると信長は、逸り立つ部下をおさえて、丘の上野の、あの繁み、この木影と、兵を幾つかに分散させた。
すぐ眼の下に、雨を嫌って幔幕が立ちならび、雑兵どもは木の蔭、民家の軒に具足をぬいで雨で汗を流している。
信長は、それらを、こまかく丘の上から偵察して廻り、再び頭上の天候を睨みはじめた。
仕損じは許されぬ生か死かの一戦。
この場合の 「時」 はそのまま尾張の運命を刻んでいる。
ここで手間どったら、今川勢の先鋒は、清州城へ辿りついてしまうかも知れないのだ。
一度雨勢をそいだ突風が、また猛威を加えて来た。
空はいよいよ暗く、紫電は頭上で縦横にきらめき交す。
しかも耳を澄ますと、風上にあたる窪地の幕舎から時おり小鼓らしいものの音が聞こえてくる。
信長は馬の手綱をしぼって丘の端に立ち、しばらくは裂けるような眼をして身動きもせずに、小鼓の音を追っていた。
(義元め、自分でも一盞 (イッサン) かたむけて、雨宿りのつもりで謡い出していると見える・・・)
小鼓の洩れる幕舎が義元の本陣に相違ないのだが、なかなかそれが、雷鳴と雨音で的確につかめない。
やがて時刻は九ツ半 (午後一時) をまわって来る。
と、ひときわ激しい突風が窪を襲い、耳を聾すばかりの雷鳴と紫電が一度に走った。
すぐ眼の下の高い欅 (ケヤキ) の梢に落雷したのだ。
「あっ!」
丘の上の兵たちも一度に首をすくめたが、下では五つの幕舎が、裾を宙にはね上げて、それを押さえる軍兵の姿が、傀儡 (クグツ) のように望見された。木影にひそんでいた雑兵もまた蟻の巣をあばいたように散ってゆく。
「よしッ!」
と、信長は身震いして鎧の雨滴をふりはらうと、馬上ですらりと愛刀長谷部国重を引き抜いて宙にかざした。
「ものども、今じゃッ! よいかッ。義元の本陣へ斬り込むまでは声を立てるな。義元以外の首は討たず、あとは馬蹄でふみにじれッ」
みなはそれに答えた、一様にさっと槍を立ててそのまま吸い込まれるように豪雨の中を田楽ヶ窪へ馳せ下った。

『織田信長 (二)』 著:山岡 荘八 発行所:株式会社講談社 ヨ リ