〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/06/29 (月) 粽 (チマキ) 接 待

信長が打ち続く凶報に、善照寺の西北で思わず馬をとめている時──
今川義元は松平元康が、織田方の驍将佐久間盛重の首級をあげて丸根の砦を壊滅させた知らせを受け取って、すっかり上機嫌になっていた。
「そうか。これで勝敗は決まった。汗にまみれて進んで来た甲斐があったぞ。よし急いで大高城へ入るとしよう」
そして、再び行列に前進を命じた時、
「申し上げます!」
いったん列前にはせ戻った堀越義久がまたあたふたと輿わきへ引き返した。
「何ごとじゃ義久」
「いよいよ幸先よいお知らせ、ただいま、松平元康と並んで鷲津を攻めました朝比奈泰能どののもとから注進がございました」
「なに鷲津から・・・・勝ったか泰能も」
「仰せの通り!」
義久はわがことのように晴々と、
「敵の守将織田玄蕃信平、音に聞こえた豪勇の士とて、しきりに打って出ましたが、松平勢に遅れを取って何の面目やあると、朝比奈どのみずから陣頭に立って奮戦、敵の柵門に迫ってこれを焼き払い、砦の中へ斬り込んだとございまする」
「して、守将の玄蕃信平は何としたぞ」
「ついに防ぎきれず、おびただしい手負いと屍体を残して、玄蕃はそのまま清州方面へ敗走、砦はわが手に帰したとの知らせにござりまする」
「ワッハッハッハ・・・・」
打ち続く勝報に、元康は腹をゆすって笑い崩れた。
「したがのう義久、元康は守将の首級をあげたのに、泰能は討ちもらしたとある。息もつかずに敗走する兵を追えと申せ」
「ははッ」
義久が三度たび駆け去ると、入れ違いに、
「申し上げます」
またあげかけた輿のわきにやって来て両手を支えた者があった。行列の護衛を厳しく命じられている浅川政敏であった。
「政敏か、用は? 早く申せ、ここに止まっていると暑くてならぬ」
「ただいま礼の者が、またまたおびただしく」
「なに礼の者・・・そうか。また来たか。ワッハッハッハ、よしよし、今川治部大輔はな、決して無法はせぬ。慈愛の大将じゃと申して安堵させよ」
そう云ってから、ふっと想い直したように、
「いったいこのあたりの礼の者は、何を進物に持参して来るのじゃ」
すべていささかの支障もなく進捗 (シンチョク) している時なので、義元は思わずたずねてみる気になっていた。
「はい。それが、今度はこの政敏も眼を見張るほどの心尽しにござりまする」
「米の十俵も持参したのか」
「それがそのような軽少なものではござりませぬ。多分この辺りをご通行なさる時は正午 (ヒル) ごろゆえ、ぜひとも御大将のお昼食に間に合うようにと、餅米三十俵を粽とし、それに酒十樽、するめ、干魚の類を馬十頭に積んでまいってござりまする」
「なに、粽を三十俵に酒十樽じゃと!? そのようにこの辺りの土民は豊かなのか」
「いいえ、ご上洛のめでたい御旅、それをお祝いするのがわれらの喜びと、節句の諸用を節させて、ご上洛を待ち受けていたのだと申しまする。その口上があまりにいじらしく、それでお耳に入れました」
「ほう、そうであったか・・・・」
義元はまた楽しそうに笑った。
恐らく、新しい征服者にとって、これほど愉快なことはまたとあるまい。
「そうか、節句の餅米を節してまで、予の上洛を待ち受けていたと申すか」
「はい。三十俵の粽を作るためには、恐らく二、三ヵ村で、寝ずに立ち働いたのでござりましょう。もし御通行の節、輿の中からなりと一言、お言葉をくだしおかれますれば、政敏めも有りがたく存知じまする」
「そうか。よしよし、言葉をかけて通ってやろう・・・」
云いかけて義元は、
「政敏、おことはさっき、われらの昼飯に間に合うようにと申したな」
「はい。それで急いで駆けつけましたと、百姓どもはみな背に汗を通してござりまする」
「そうか。もはや正午に間もない。よし、せっかくの土民が好意、あれに林が見えるな。あのあたりで輿をとめ、みなみなにその粽を分け、持参の酒樽のかがみをぬいて一杯ずつ戦勝を祝わせてまいるとしようか」
「あれなる丘の下の林で・・・・」
「そうじゃ、そういたせ。ここで小半時ほど休息したとて、大高城はもう間近じゃ」
「では、さっそく、幔幕 (マンマク) の用意を・・・・」
「それがよい。なるべく日陰にな。それからその礼の者のうち、総代を選んで幕舎へ連れまいれ。予がじきじきに会うてねぎらってやる」
義元は政敏の知らせで気が変った。
すぐさっきまでは、少しも早く大高城へ涼をとるつもりであったのが、太子ヶ根のふもとも林と、そこにできている涼しそうな日蔭を見ると、礼の者が持参した粽で昼食をとる気になった。
浅川政敏の命で、行列はしにまま田楽ヶ窪にとまった。そして、太子ヶ根の丘の下に幔幕が張られ、さして広くもない狭間のうちに、汗にまみれた五千の将兵が刀槍をかついで、低きにつく水のようなに続々と流れ込んだ。

『織田信長 (二)』 著:山岡 荘八 発行所:株式会社講談社 ヨ リ