〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/06/25 (木) 弁慶べんけい 洛中らくちゅう にてひと太刀たちうばこと (一)

かくて冬にもなりしかば、弁慶思ひけるは、人の重宝ちょうほう は千そろ へて持つに、奥州の秀衡ひでひら名馬めいばびき筑紫つくし菊池きくちよろいりょう 、松浦の大夫は胡?やなぐいこし 、弓千ちょう 、かよう重宝ちょうほうそろ へて つなるに、弁慶はかわ りなければ、買ひても持たず、人を知らねば付属ふぞく せられず、せん ずるところ弁慶夜に入りて、京中にたたず みて、人の持ちたらんずる太刀たちふり 取りて、重宝せばやと思ひ、人の太刀を取りある く。
しば しこそありけれ、 「当時洛中に、たけ 一丈いちじょう ばかりなる天狗てんぐある きて、人の太刀を取る」 とぞ申しける。かくて今年も暮れければ、次の年の五月の末、六月の初めまで、多くの太刀を取りたりける。樋口ひぐち 烏丸からすまる なる御堂の天上てんじょう に置く。かぞ へて見たりければ、九百九十九取りたりける。
六月十七日、弁慶五条の天神にまい り、とも祈念きねん しけるは、 「今夜の御利生りしょう に、弁慶によからん太刀たち 与へ給へ」 と祈誓きせい して、夜 くれば、天神の御まえ に出て、みなみ へ向いて行きければ、人の家の築地ついじきわたたず みて、天神へ参りの人の中に、よき太刀持ちたる人をぞ待ち懸けたる。
暁方あかつきがた になりて、堀川ほりかわ を下りに来ければ、面白おもしろ き笛の音こそ聞こえけれ。弁慶はこれを聞きて、 「面白や、只今ただいま さ夜更けて天神へ参る人の吹く笛にこそ、法師ほうし やらん、おとこ やらん、あはれよからん太刀を持てかし、取らん」 と思ひ、笛の の近づきければ、差屈さしくぐ みて見れば、若き人の白き直垂ひたたれ胸板むないた 白くしたる腹巻はらまき に、黄金作こがねづく りの太刀の心も及ばぬを かれたり。
弁慶これを見て、 「あはれ太刀や。なに ともあれ、取らんずるものを」 と思ひて、待つ所に、後に聞けば、恐ろしき人にてぞおはしける。弁慶いかでか知るべき。御曹司おんぞうし はまた身をつつ み給ひければ、あた りには目をも放たれず。むく の木の下を見給へば、 しからぬ法師の、大太刀脇挟わきばさ みて立居たちゐ たりけるを見給へば、 「彼奴きゃつ只者ただもの にてはなし、このごろ みやこ に人の太刀を取る者は、彼奴きゃつ にてあるよ」 と思い給ひければ、少しもひるまず かり給ふ。

こうして冬にもなったが、ある時弁慶はこう思った。人の本当の宝は、千揃えてもつものだ。たとえば、奥州の秀衡は名馬千疋、筑紫の菊池は鎧千領、松浦の大夫は胡? (ヤナグイ) 千腰に弓千張と、このように重宝を揃えもっているが、この弁慶は代金がないので、買って持つということもできない。また知人がないので貰うこともない。この上はやむを得ぬ、弁慶が夜に入って京の町中に立ち、人の持っている太刀を千振奪い取って、重宝にすることにしようと思い、人の太刀を強奪して歩いた。
しばらくすると 「最近都の中に、背丈一丈ほどある天狗が横行して、人の太刀を取る」 と人々が噂するようになった。こうしてその年も暮れたので、翌年の五月の末から六月の初めまでの間に、弁慶は数多くの太刀を奪い取った。樋口烏丸にある御堂の天上に、その太刀を隠して置いたが、数えてみると、実に九百九十九本奪い取っていた。
六月十七日に弁慶は五条の天神に参詣して、夜になるとともに祈念していた。 「今夜の御利益に、どうか弁慶に立派な太刀をお与え下さい」 と祈誓をこめて、夜が更けると天神の社の前に立ち出で、南へ向かって行き、人家の土塀の傍らに佇んで、天神へ参詣する人の中によい太刀を持っている人はいないかと、待ち構えていた。
明け方になって、堀川小路を南へ下って行くと、節おもしろい笛の音が聞こえてきた。弁慶はこの笛の音を聞いて、 「おもしろいことよ。きっとただいま、夜が更けてから天神へ参詣する人が吹く笛の音であろう。笛の主は法師だろうか、それとも俗人であろうか。ああ立派な太刀を持っていてくれればよいが、取ってやろう」 と思い、笛の音が近づいて来たので身をかがめてすかして見ると、若い人が白い直垂の上に胸板を銀で白く光らした腹巻を着、黄金づくりの太刀の想像を絶した立派なのを腰に帯びておられた。
弁慶はこれを見て、 「ああ見事な太刀よ。どうしても奪い取ってやろうぞ」 と思って待ち受けていたが、後に聞くと、それは恐ろしい人であったのだ。けれども、弁慶はどうしてそんなことを知っていよう。御曹司の方もまた身分を隠しておられたので、油断なく周囲に気を配っておいでになった。椋の木下をご覧になると、異様な法師が大きな太刀を脇に挟んで立っていたのをご覧になったので、 「あいつも只者ではない。この頃都で人の太刀を奪い取るという者は、こいつだな」 とお思いになったから、少しも臆さず向かって行かれた。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ