大きに清盛これを取って斬るべきよし聞こえければ、平治二年二月十日あかつき、三人の子
どもひき具して、大和
の国宇陀
の郡
岸の岡といふ所に、常盤が外戚
の親しき者あり。これをた づねてゆきけれども、それもかかる世間の乱るるをりふしなれば、頼まれず。当国、だうとうじと
いふ所に隠れゐたりけるに、常盤が母、関屋
と申すもの、楊梅町
なるところにありけるを、六波羅
へ取りいだして、糾問
せらるるよし聞こえければ、常盤これをかなしみ、母のいのちを助け んとすれば、三人の子ども斬らるべし。親の嘆き、子の思ひ、いづれもおろかならざれども、親
には子をばいかが代ゆべき。親の孝養
する者は、堅牢
地神
も納受
したまふなれば、子どもの 為
となりなんと思ひつつ、三人の子どもひき具して、泣く泣く京へぞ行きける。
六波羅に聞こえければ、悪七
兵衛
景清
、監物
太郎に仰せつけて、子どもを具して、六波羅へ 具足す。清盛、常盤を見給ひて、日ごろは火にも水にもなしたく思はれけるが、怒れる心もや
はらぎ給ひけり。常盤と申すは、日本一の美人なり。九条院はことを好ませ給ひければ、洛中
より、容顔
美麗
なる女を千人召されて、その中より百人、百人の中より十人、十人の中より一 人選
られたりける美女なり。
清盛、われに従はば、末代
は、子孫の為にはいかなる敵
にもならばなれ、三人の子ど もをば助けばやと思はれける。頼方・景清に仰せつけて、七条朱雀
なるところにぞ置かれける 。非番
・当番
をも、頼方がはからひにしてぞ守護
しける。
清盛つねに常盤がもとに文
を遣はされけれども、取りてだにも見ず、されども子どもを助けんが為に、終
に従ひけり。さてこそ常盤が子どもをばところどころにてこそ成人せさせけれ。
今若八歳と申す春の頃より、くはんぜう寺にのぼせ、学問せさせ、十八の年受戒
して、禅師
の君とぞ申しける。後には駿河
の国富士の裾野
に、阿野
と申す山寺に、仏法興隆しておはしけるが、悪禅師殿とぞ申しける。
乙若八条におはしけるが、僧なれども、腹あしく恐ろしき人にて、加茂、春日、稲荷、祗園の御祭ごとに、平家を狙ひ、後には紀伊の国にありける叔父
新宮十郎行家、世を乱りし時、東海道墨俣
川にて討たれけり。
弟
の牛若は、四の歳まで母のもとにありけるが、世の幼き者よりも、心ざま、振舞
も越えたりしかば、清盛つねは心にかけて宣
ひけるは、 「敵
の子を一所
に置きては、終
にはいかがあるべき」 と仰せられければ、京より東、山科
といふ所に、源氏相伝
の者遁世
して幽
かなる住居にてありけるところに、七歳まで置きて育てけり。
|