〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/05/04 (日) み か ど と かに (三)

それだけでも、容易な苦労ではなかった。二位ノ局以下、お側近くの女房たちが、すべて乗り終わるまでには、いつか陽も没し、海はあお い宵やみになっていた。
唐櫃からびつ は、船上の賢所に安置され、それに隣して、お座所構えのしつら えがある。これは、かつて宋との交易に用いられた大宰府船であり、軍中でも、一番おお きな唐船であった。
屋形は中央と船尾の二箇所にわかれ、間に、舫門ほうもん と呼ぶ門まで見える。帆檣ほばしら にそって鉦鼓しょうこ を鳴らす楼台があり、また、将座の望楼があった。
望楼の下が、宗盛の入る屋形だった。一門の主なる人びとは、そこでしばらく、軍議していた。
といっても、細項は、今さら協議の必要もあるまい。おそらくは、いつなんどき眼の前に現れるかもしれない敵の水軍に対し、陣取りや戦法などの大綱たいこう の打ち合わせでもあったろうか。
ともあれ、それは、わずかなうちに終わり、諸将は各自の船へ乗り別れた。その夜も、潮は暗かった。船陣の組まれる間に、波騒なみさい の中に、ひとしきり武者ばら のわめきが高く、海の は、うるし の光に似たひらめきを持った。
やがてのこと。
ここ福良ふくら から、三百余艘の影が、東方へ動き出していた、またたちまち、田ノ首でも数十艘加わるのが見え、ほかの浦々からも島を離れて合流する船影が、百七、八十艘をくだらなかった。
それ以前に、沖の遠くには、筑紫党つくしとう の船群、伊予、阿波の船勢ふなぜい も、早くから水上の陣についていたのである。あわせて、五百数十隻、およそこれは平家の全水軍といえるものだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ