〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/19 (土) ひこ しま と り で (三)

とまれ、彦島は、堅陣だった。
そのうえ、死にもの狂いの兵がい、上には、寡黙かもく な大将知盛がいたのである。
「みかどの御着。お迎えにまいろうよ」
彼は、阿波民部や、維盛の弟資盛、有盛などを従え、その時刻、福良の浜に、立ちならんでいた。
屋島から落ちて来たおびただしい味方の船を見、知盛は、なつかしいとも、これからは、心強いとも、思えなかった。
「── これだけの船、これだけの将士を擁し、なんでむざと、敗れたことぞ」
と、それのみが、こみ上げてくる。
だが、やがて続々、船から上がって来た人びとの姿を見ると、案に相違して、みなよそお いが小ぎれいなので、知盛は、いくらか、ほっとした容子だった。
主上、女院、二位ノ尼。いずれもさしてお疲れとは見えない。わけて兄の宗盛は、ゆさゆさと、その巨躯きょく を、大勢の中に見せて、近づいて来、知盛の前へ来ると、
「おう・・・・」 と、手をさしのべ、
「ついに、われらも、ここまで、おん供して参った。── 賢所かしこどころ (神器) と、みかどのおん供申して参った。しょせんは、一蓮托生いちれんたくしょう の約束事であろう。お許には、まず息災で何より」
と、言った。
握られた手を、知盛は黙って、握り返した。
門脇中納言教盛、それから経盛、また盛国と、つぎつぎに、一別以来の顔に会う。
「・・・・・」
知盛は、始終、黙々とその人たちの久しぶりな姿を眼で迎えた。
どの顔へも、思いはいっぱいで、いちいち、言う言葉も出ないのであろう。
── と、たれかが、いきなり食いつくように、彼の肩へ来て、泣き顔を擦りつけた。
見ると、能登守教経だった。
「め、面目ない。ここへ参って、お会わせする顔もございませぬ。無念です。む、無念です」
その教経の、血の気にふれても、知盛は、少し顔を斜めにして見せただけで、何も言わなかった。
さりとて、体をよけるでもなく、いつまでも、教経の泣くにまかせて、自分の肩を、彼の泣き顔へあずけていた。── しして、その佇立ちょりつ のまま、眼の前を通って行く母の二位ノ尼や、みかどの御輿、女院の御輿などへ、いちいち、静かな目礼をささげていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ