〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/05 (土) 夢 の 中 に も 夢 を 見 る か な

── そのあく る日であった。
義経は、古高松の兵火の跡に、気の毒な災民たちを て歩き、救恤きゅうじゅつ の策をたてて、その帰り道を、六万寺へまわって来た。
ここでも、一堂に枕を並べている傷者を見舞った。源氏の将ばかりでなく、平家の手負いも収容されていたのである。平家の兵は、顔を濡らして、ただ、彼の姿へ目礼していた。
そこを出て、義経はふと、
「この六万寺には、かつて平家のおいとけなき主上が、屋島の造営しつらえ が成るまでの間、しばし仮の内裏だいり を置かせ給うたこともある由。── 麻鳥、その玉座のあとは、どの辺りか」
と、たずねた。
麻鳥もまだ奥深いその辺りまでは見てもいない。
── で、紙燭しそく を手にしながら、義経の先に立って、ここの無住久しき廃院の奥を探って歩いた。
「おお、何やら、えならぬ も残っております。もしや、玉座はこのゆか ではありますまいか」
たたみ の間には、破れ御簾みす が、そのまま朽ちてい、侍座じざ の公卿や、女院や一門の人びとの、ここに居流れた夜の様もどこかしの ばれる。
「麻鳥、紙燭しそく をここへ」
義経は、太い丸柱の前に佇んで、その木の肌へ、顔を寄せていた。
麻鳥が横から灯を翳すと、柱に書いてあった幾首かの歌の美しい文字のあとが、 の目も見ずにあったため、なお昨日の筆のように、あざ らかに読まれた。

今日までも あればあるかの 我が身かは  夢の中にも 夢を見るかな
門脇中納言教盛
行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば  花やこよひの あるじ ならまし
薩摩守忠度
いづことも 知らぬ逢ふ瀬の 藻塩草もしほぐさ   かきおく跡を かたみとも見よ
三位中将重衡
世のなかは 昔がたりに なりぬれど  紅葉の色は 見し世なりけり
皇后宮亮こうごうぐうのすけ 経正つねまさ
そのほかにも、経盛の歌、治部卿じぶきょうつぼね の歌など、幾つか見える。いつ、どんな夜に、一門の人びとが名残の歌莚うたむしろ けて、はかない “生けるしるし” をここの柱にとどめおいたのか。
「・・・・・・」
紙燭の明りは、義経の横顔に、いつまでも、小さい揺らぎをくり返していた。彼のひとみは、美しい墨の跡に凝然ぎょうぜん と吸いつけられ、われを忘れているふうだった。いや昨夕、八栗半島の一峰から、黙々と降りてくる途中の思いを、ここでも新たにしたのかも知れなかった。
閑話休題。
── 六万寺の柱に題した平家人へいけびと たちの歌は、ずっと後の天正年間まで残されてい、当時の長曾我部ちょうそがべ 元親もとちか も、この寺へ立ち寄って見たことがある。そのさい、元親は、平家人のやさしさに打たれて 「大事に保存せよ」 と寺僧に命じて帰ったが、時しも戦国時代なので、ある年の戦乱に、土佐の兵が、寺に火をかけたので、柱もともに焼けてしまった。元親は大いに惜しんで、後日、放火した兵を調べ出し、その者の首を ねたということである。
これは、 “讃陽綱目さんようこうもく ” という郷土史書にみえる数百年後の後日談だが、余韻ある話なので、逸しるのも惜しいと思い、わざとここに書き添えておく。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ