機　　密 (一)

～～『寅の読書室　 Parｔ Ⅱ-Ⅹ』～～

── 新・平家物語 (十三) ──

浮（うき）巣（す）の巻

2014/03/28 (金)　機（き）　　密（みつ） (一)

五剣山のいただきに、十人ばかりの人影が、動いていた。
源氏の遠見（とおみ）の兵らしく、夜通し海上の敵を見張っていたものだろう。── 明けて二十一日の、まだ陽（ひ）ものぼらないうちのことである。
そのうちに彼らの一人が、突然、大声でほかの仲間を呼び立てた。
急に、山の一端にかたまりあい、東の空をのぞき下ろしていた。西は屋島、東は志度（しど）の入海（いりうみ）だった。
蒸昇する海気（かいき）か、山にまつわる霞（かすみ）か、いちめんなものが立ちこめてい、何も見えないほどだが、ふと白い気流の膜（まく）が破れ目を作ると、真（ま）っ蒼（さお）なさざ波が顔を出し、楯（たて）を並べた兵船の群やら、丹（に）や青を塗った唐船（からふね）などが、ありありと、海面に見えた。
「やっ、平家だっ、平家の船勢（ふなぜい）ぞ。── いつのまに」
余りに近々と敵軍の中核を眼にしたので、彼らは当然、きもをつぶしたが、かえって大声も出なかった。
「夜半過ぎからは、ひどい靄（もや）だった。その間に、屋島からここへ移っていたに相違ない」
「何せい、これは大変だ。おそらく雨龍（うりゅう）ノ岡（おか）でもまだ御存知はあるまい。すぐ、お知らせ申せ。見たままを」
二、三の兵は、まろぶが如く、南側のふもとの方へ、駆け降りて行った。残りの者は、さらに東へ歩き出して、志度ノ浦から湾内を一望出来る辺まで足場をすすめていた。
そこからは、手にとるように、志度ノ浦の全景と、三百余艘の船数（ふなかず）も見わたせる。
兵糧（ひょうろう）を摂（と）っているのだろう。朝の炊煙（すいえん）が、どの船からも立ち昇っていた。── その煙りの様や、紅（くれない）の旗風にも、さかんなる士気はわかるし、特に、賢所（かしこどころ）を奉戴（ほうたい）しているお座船には、日月の幡（ばん）が、燦（さん）としてひるがえり、さすが、天皇、国母を戴（いただ）いて、あまたな女官や公卿、僧侶（そうりょ）までを陣に擁している大平家らしい軍装（いくさかざ）りは波間に褪（あ）せていない。
「えらい船数・・・・」
と、彼らは、竦（すく）み合って、
「きのうは、沖遠くに大船を並べ、小船しか寄せて来なかったが、どういう計（はかり）で、にわかに、志度ノ浦へ、こぞってまわって来たのだろうか」
「もとより、敵は今日こそと、総懸りの腹を決めたのだろう。また大兵を上げるには、汀の狭い牟礼（むれ）よりは、志度の方が、海も広やかだし、陸（くが）も広い」
「・・・・や、や。三、四艘の武者船は、もう陸（くが）へさして漕（こ）いでいるぞ」
「すわ、総懸りか」
「いや、先にこの五剣山を占めて、東国勢の様子を見物しながら、続々、あとの本軍を招き上げる考えだろう」
「そうだ。・・・・あっ、上陸（あが）って来た。逃げろっ」
彼らはたちまち南側の傾斜へ身を沈め、やがてその影は、八栗半島の根と、屋島との中間にあたる平野の一丘（いっきゅう）、雨龍（うりゅう）ノ岡（おか）に見える源氏の陣地へ、わらわらと駆けて行った。

著：吉川英治　発行所：株式会社講談社ヨリ