重衡の望みは容
れられた。 そこの阿弥陀堂といっても、辺りは、焼け跡の瓦礫がれき
と、夏草の露ばかろだった。 夜半を過ぎて出た月が、堂の一角を蒼白く照らしてい、ここから十町余の奈良の町や、若草山わかくさやま
のまろい線を模糊もこ と天地の絵絹に描き出している。 いま、重衡の姿は、堂の朽く
ちた階きざはし を静かに踏みのぼった。 首斬り役の法師武者二人を後ろに、廻廊の角に立ち、奈良の町へ、眼を放った。 しいんと、鬼気をふくんだ静寂しじま
が、彼のその白い影から辺りへひろがるかのように、一瞬、露の降る音も人びとの耳になかった。 「・・・・おう、遠いかなたに見ゆるは、大仏殿でん
の焼け跡よな」 ふと、重衡はゆぶやいた。 月光の若草山を後ろに、大仏殿再建さいこん
の高い丸太足場の上部が、あだかも、大盧遮那仏だいるしゃなぶつ
の骨組みその物のように白々と見える。 重衡は、仏典の智識は持たない。けれど、華厳けごん
の法相ほっそう かと、それをながめた。大仏は、人間への憐憫れんびん
と、四海の平和の祈りを、光明こうみょう
遍照へんじょう の相すがた
に具顕ぐげん したものとか聞いている。平和の祈りは、砕かれても砕かれても、再建される。幾たび、炎を浴びようと、地上のあるかぎりその燦然さんぜん
を失うまい。 だのに、なぜ、再建した人間が、まや焼亡を呼ぶ人間となるのか。御仏はあえて身をもって、その愚を、何十年、何百年ごとに、健忘症な人間に教えているものかもしれない。 「いや、その愚は、それ一事ではない。父の清盛、一門のわれらまでが、みなひとしい愚をやってきた。だが、平家に取って代わって、源氏もまた、その愚を、地上に繰り返さねば世の倖せだが・・・・」 心で言って、次のは、自然、低い声となって出た。 「な、む、あ、み、だ、ぶ、つ・・・・」 称名しょうみょう
の低唱とともに、重衡は、一歩ぽ
一歩、堂を巡って、歩み出した。 法師武者二人は、ぐっと、腰をひき、右の肩と肱ひじ
を、前へ落とした。太刀の柄つか
を握ったのだ。そして、重衡の影に尾つ
いて、ともに堂の縁を幾巡りしながら、 「十歩ぽ
・・・・。三十歩。・・・・五十歩」 と、数えた。 「なむあみだぶつ。・・・・なむあみだぶつ」 重衡の影は、幾たびか、月明かりの中へ出、また月のない蔭を歩み、明暗の壁の添って通った。 北の欄らん
の下は、特に暗かった。 そこの夏草の蔭に、千手と友時のふたりが、坐っていた。欄のすぐ上を、重衡が通るたびに、千手は身を浮かせて、はふり落つる涙の顔を仰向けた。重衡の眸め
が、にっと笑った。彼女の涙も、ほほ笑みに光った。 「── 百歩だっ」 後ろの太刀取りが叫んだ。 最後の念仏が、重衡の唇くちびる
からも、千手と友時の唇からも、一語、やや大きく唱えられた。と思うせつなに、ふた筋の太刀の光が、びゅっと、重衡の体のどこかを通り抜けた。 ばたっと、重衡は、床にたおれた。血しおではなく、その体から、一匹の螢ほたる
が、ツイと飛んだ。そして、廂ひさし
の裏へ舞い上がり、ゆらゆら行き迷い、ついと、風に中へ消えて行った。 「やあ、すんだぞ」 「事なく、太刀はすんだ」 法師武者二人は、大声でかなたへ怒鳴った。 どたどたと、たくさんな跫音あしおと
が、駆け登って来た。祐経は、たれより先に、亡骸なきがら
のそばへ寄って、片ひざをつき、掌て
を合わせた。そして、朱あけ に染まった直垂の両袖を引きちぎり、一つを下の千手へ投げ与え、一つは自分の身に持って、 「委細のこと、つぶさに、鎌倉どのへ、御復命申すであろう。そのせつの証しるし
に、この御袖は、いただいて帰国いたす。同道の御房たち、執刀の方々にも、御苦労でおざった。まずは・・・・まずは」 祐経は、声をうるませ、急に、顔をそむけた。 ──
が、ふと下の草むらを見れば、そこからも、一つの亡骸なきがら
がうつ伏していた。千手であった。 連れの友時には、あらかじめ、死後の頼みを、固く約しておいたものだろう。 重衡の死を見るやいな、彼女もすぐ自害したのである。しかし友時は狼狽ろうばい
した様子もない。重衡の片袖に千手の櫛くし
と黒髪を包んで持ち、突然、その場から駆け出していた。他人の眼には、狂人とも見えるような迅はや
さで、月の大和路を北の方へ走り去った。 |