〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
せん じゅまき

2014/01/30 (木) 返 り 帰 り の 大 納 言 (二)

池ノ大納言頼盛は、いわばかり の列から脱けた、離れ雁だった。しかし、彼は彼の列にたくさんな一家眷族けんぞく を連れている。
もとより、頼朝の方から、 「東国へくだ り給え。池ノ禅尼の御恩報じ、行く末、お力になり申さん」 というすす めがあって、下向したことだが、鎌倉へは、すぐ入らなかった。
海道の国府津こうず に、一館をもらい、去年十一月からそこに住んで、年をこえた。
しかし、家族を国府津において、彼のみは、鎌倉の府へ来たこともある。
初めて、頼朝と会った時、頼朝の方から、
「御家臣のうちには、たしか、弥兵衛やひょうえの 宗清むねきよ と申す者がいたはず。頼朝が十三歳のおり、捕われの身を預けられたおりの番士が、その宗清であった。少年のわれを憐れみ、朝夕の世話など、わが子のようによくしてくれたものだが・・・・あの宗清は今、どうしていますか」
と、たず ねた。
頼盛は、うつ向いてしまった。
彼の答えがないので、
「さては、はや年も年、病死でもして、相果てしか」
と、 き直すと、頼盛は、面目なげに、
「いやいや、あの宗清は、われらが、西国落ちを拒んで、東国へ身を寄せんというむね を聞くと、自分の方から、いとま をくれいと申し出で、ただ一名にて、一門のあとを追い、西国へ いて行ってしまいました。たぶん今も、屋島の内におりましょう。・・・・とこどき思い出さるる者でございますが、世に、家来から暇を出された主人は、この頼盛一人でありましょう」
と、淋しげに笑った。
頼朝も、また、
「それは惜しいことをした。耳の清まるような宗清の生き方ではある。したが、もし、ここに彼がいたら、どんなに、むかし語りに花が咲こうものを」
と、つまらなそうな顔をした。
けれど、宗清を惜しむの余り、それのこだわるのは、何か頼盛の立場をふう するようで、せっかくの馳走ちそう も馳走にならなくなると気づいたのか、頼朝はそれきり、酒間にも、宗清の話にはふれなかったそうである。
しかし、頼朝が、旧恩にむくうためと口ぐせに言って、池ノ禅尼の実子頼盛を、この平家が不運のさいに迎えとって、手厚くもてなしたことは、およそ、なみたいていな心尽くしではなかった。鎌倉詰めの御家人衆からそれを見ると、むしろ意識的な、これ見よがしの御待遇かと、ひがまれるほどだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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