〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Z 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (九) ──
く り か ら の 巻

2013/10/07 (月)  に ら み あ い (一)

いったん、ひうち に敗れた木曾源氏の先遣隊は、支離滅裂となって、ついに、越前を捨てきるまでは、その逃げ足が止まらなかった。
事実、平軍の追撃も急だった。序戦の大捷たいしょう ではあるし、数万騎を持つ怒涛どとう である。誇りに誇ったものらしい。
しかし木曾勢とても、幾たびとなく、陣を立て直そうとはしたのだが、その都度、痛手を大きくするばかりだった。
特に、三条野で抵抗をこころみたときは、林六郎光明の子光平が、平家の斎藤実盛の手兵に討たれ、まったく、見るかげもない敗残の軍となってしまった。
「これ以上の戦いは、益もあるまい。ただ犬死を求めるだけのもの」
と、今は疲れきった口々で、
「いっそ、加賀、越中も放棄して、木曾殿のおわす越後まで落ち延びるのが得策」
と称える者が多かった。
けれど、加賀に入ると、さすが、平家の追迫ついはく もやや遠ざかった。そして反対に新手の在郷源氏が、ぼつぼつ せ加わって来たので、ひとまず安宅あたかせき 住吉の浜に、陣を結んだ。
が、ここでも、
「これしきの小勢では」
と危ぶむ声が高く、
「木曾殿の援けを待つか。越後国府まで立ち退 くか。いずれにかせん」
と、士気は容易に一致しない。
すると、越中の住人石黒太郎光弘が、
「ばかなことを」
と、人びとの妄言もうげん をあざ笑って、こう言い張った。
「越後へ参って、総大将のお旗本に付くまでも、この逃げ足と、ぶざまを持って、なんで、わが殿の前に、出られようか。たとえ、かな わぬまでも、さいごまでは戦って、しかる後に、御本陣へもどるが、武者の道といくもの」
「石黒の太郎、よくいったり」
南保家隆、水巻安高、小太郎安経、富樫とがし 泰家やすいえ などは、主戦派であった。石黒光弘のこの言葉を支持して、遮二しゃに 無二むに 、抗戦の備えにかかった。
この辺りには、入江や沼が多い。大軍の敵には、すこぶる足場の悪い地方である。反対に小勢の味方には、安宅は、絶好な地形といえる。そこで、加賀、能登、越中の敗残の源氏は、橋を引き、たて をならべて、梯川かけはしがわ の北岸に、最後の一戦を けていた。
平軍も、そのころ、越前の長畝ながうね を発し、加賀の国へ、こみ入って来た。加賀の案内者は、例の平泉寺の斎明威儀師だ。
この裏切り法師は、いつか、平軍の中に立ち交じり、全軍の先頭にあって、つねに嚮導役きょうどうやく を果たしていた風である。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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