〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-Y 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (八) ──
さん がい の 巻

2013/09/16 (月)  せん (三)

定成や頼基が駈けつけ、さっそく、脈を取ろうとしたが、何か、 えて、取らせもしない。硬直すると四肢しし は木か竹のようにかたく、胸まで突っ張って、いまにも、悶絶もんぜつ するかのような形相ぎょうそう に変った。
「およそ、かような大熱には、出会うたこともございません。世の常の頭風ずふう傷寒しょうかんやまい とはおもわれぬ。このうえは、われらの御投薬のみにてもいかがなももか。都じゅうに名医をお求めあって、よほどな、御治療に努めにことには」
と、定成たちの侍医も、ようやく、狼狽ろうばい して、枕辺に詰め寄った経盛、教盛などに、もう、ある注意を、ほのめかした。
「では、たれが名医か」
いってみたところで、たれにも心あたりはない。
典薬頭てんやくのかみ 定成さだなり 、施薬院頼基をのぞき、朝廷の典医には、これ以上な医師があるとも思われぬ。一世の名医、和気わけの 百川ももかわ や丹波雅忠まさただ は、もう故人だし、現存の医家としては、主税頭定長、入道知康ともやす など、みな西八条へ呼んである。しいて、他に良医をさがすなら、叡山、南都などの、寺院にはいることもいるが、現下の時局、にわかに迎えることはむずかしい。
「いや、ひとりいる」
と経盛が言った。
「たれです」
と、宗盛の問いに、
「和気百川の弟子」
「ほ、それなら・・・・。して住居は」
「三条西ノ洞院とういん 。柳ノ水のそばにおる阿部あべの 麻鳥あさとり という者だが」
「はて、あのあたりは、餓鬼町とよばれる貧者の屋群やむれ がある所ではございませんか」
「そうです。が、貧者の中で、慈父のごとく慕われているということ。近ごろ、仁和寺にんなじ のうちにおる慈尊院じそんいん隆暁りゅうぎょう からうけたまわった。町医者として、和気百川が随一の門下と申せば、一応、招いてみてはどうであろう」
典医たちは、答えない。
さきに、早馬を出して、宋医そうい を招こうと評議したときも、うなずかなかった典医たちである。
が、そのときと、今とでは、重態さがまったくちがう。それに、参議経盛は、舎弟中の長兄であり、日ごろは、めったに、意見を口に出さないたちだ。その人の言葉とて、宗盛も、ほかの一族も、
「では、すぐにも」
と、使いを派して、飢餓町の貧乏医者を、心ならずも、迎えにやることにした。
この間とて、病人の清盛は、「・・・・熱い。身が けるようぞ。熱い」 と、大熱の苦しみを訴え、はたの見る眼もつらかった。
「しょせん、水などで、お冷やし申し上げても、何もなりませぬ。このうえは、どこぞの、雪をお運びください。氷なれば、なおよいが」
医者たちの、さしずである。
春も、もう二月の末。壺 (庭) の梅は散りかけている。
昨日今日、水もぬる む陽気である。京をめぐる山々にも、雪は見えない。まして、氷のあろうはずもなかった。
龍華りゅうげ氷室ひむろ へ人をやれ」
それも、経盛の言葉だった。
「そうだ、龍華には、古くから雪倉があったわ」
言われてから気づいたのだ。延喜式えんぎしき にも “── 近江国志賀郡龍花りゅうげ 谷、氷室一個所” と明記してある。夏の大饗たいきょう などに、どうかすると、その雪氷が、飾りや馳走ちそう膳部ぜんぶ へ出る。
「早くせねばならぬ。そうだ、さっそく、人や馬をやって」
四、五名が、その用意にと、病殿びょうでん の廊を立ちかけたときである。高欄の下から、つと、身をのばして、こう、せがむように、叫んだ者がある。
「そのお役目。── 雪氷を雪倉から切り出して運ぶお役目、どうぞ、それがしにさせてください。身を牛馬ともなして、懸命に、御病殿へ、雪氷を運びまする」
たれかと見ると、それは、数日前、入道清盛の怒りにふれて、庭先へ蹴出けだ され、以来、勘気をうけていた孫の権少将ごんのしょうしょう 資盛すけもり だった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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