「またか、宗盛」 清盛は、怒った。 おなじ嫡男でも、死んだ長子の重盛へは、こう我武者
には怒鳴どな れなかったものだが、宗盛だと、それが出る。 「わからぬやつよ。いくたび、ひとつ事を説と
きに参るぞ。今さら、またも、都を遷せなどという意見は、無駄なことだ。御辺ばかりでなく、公卿のまわし者や、山門の訴えにも、聞き飽いておる」 さほど、激語でないばあいも、このごろは、すぐ、入道のひたいには、青筋があらわれる。 心労のせいであろう。肉の落ちてきた顔には、まざと、ふかい皺しわ
がふえて見える。 「・・・・はい」 その人の子だ。宗盛には、分かりすぎている。 それだけに、彼は、しかられても、怒鳴られても、ふたたびの都遷うつ
しを ── 還都かんと の実行を
── 迫らずにはいられなかった。 「父君のお立場として、ひとたび、行われた遷都を、半年もたたぬまに、ふたたび、元へ還すなどということは、世上への御面目としても、お心にそまぬこととは」 「面目」 と、清盛は強くさえぎって、 「そこだ、御辺どもは、清盛が、小我しょうが
にこだわって、我が を張っていると、思うているのじゃろ。そうではない」 「いえ、その大きな御腹中は、宗盛にも、よく分かってはおりまする」 「ならば、もう、日ごとのように、意見がましい訴えを申しにここへ来るのはやめい」 「・・・・とも存じながら、なお、御意に逆らっても参りました仔細しさい
は、じつは昨夜、山門の明雲みょううん
座主ざす から、特に、お使いがございまして」 「明雲座主なら、清盛の心もよく知るお人、いつの御書状にも、ここへよこしておるのに、なんで、御辺の門へ、使いが行ったのか」 「さきの遷都に、ごうごうと、不平をならしおった一山の大衆を、今は、座主のお力を持ってしても、防ぎ難しとのお嘆きなので」 「そんなことは、今日の沙汰ではない。衆徒も公卿も、福原遷都には、初めから大不平だ。何を、今ごろあらためて」 「今ごろとは仰せられますが、昨今のそれは、ただ口先の不平ではなく、山門僉議せんぎ
の末、もし入道相国が、あくまで、福原の新都を固守するならば」 「固守したら、どうすると?」 「仲の悪い南都の大衆とも手を握り、近江、山城、河内の三国を、自己の力で治め、平安の地を復旧して、後白河法皇をお迎えせん
── と議を決したそうでございます」 「では、法皇を、奪い参らせんと謀はか
りおるのか」 「平安の都を復し、法皇を中心に、都づくりを催すとあれば、新都に安からぬ人びとは、風を望んで、帰るにちがいなく、また、近江源氏も、木曾源氏も、頼朝の鎌倉勢も、いちどに、上洛するであろうとの目企もくろ
みにござりましょう」 「ちっ、やっかいな衆徒めらが」 清盛は、舌を鳴らし、怖おそ
るべき彼らの知謀に、舌を巻いたのかも知れない。一瞬、蒼白そうはく
なふるえが、面おもて をかすめた。 「そればかりではございません」 「まだあるのか」 「堅田湖賊やら、近江源氏の山下義経と称する一党が、おいおいに、勢せい
を加え、これと山門、これと興福寺なども、隠密おんみつ
に結び合い、山門の僉議せんぎ
がなくも、必然、それらの暴徒が、旧都を占め、木曾や鎌倉勢を、呼び入れんことは、遠い日でもあるまいと、座主の御書状が、先を憂えておられました」 「・・・・・・」 清盛は、いよいよ、ひたいの筋を太らせて、黙然とあらぬ所をねめつけていた。
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