〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (五) ──
御 産 の 巻

2013/07/18 (木) えん おう ぎん (四)

天皇は、学問を清原きよはらの 頼業よりなり にうけられた。音楽の才藻さいそう もゆたかに、また、幼時から詩もよくお作りになった。
で、この秋には、紅葉賦こうようふ創作つく られたりして、その一樹を大切にされ、近習の藤原信成に、
「おこと を、楓守かえでのかみ に任じよう。常々にもよく、楓の木を守るように」
と、お戯れになったくらいである。
かりそめの仰せとはいえ、御切愛のほどを知る信成は、炎日の灌水かんすい にも、気をつけて、楓のもり を心していた。
ところが、この楓は、三年待って、たった一年、そのすばらしい紅葉を見たのみで、次の秋にはもう姿もなかった。
── と、分かったとき、近習たちは、たいへん狼狽ろうばい をし合って、
「何者ぞ、御鍾愛ごしょうあい の楓を ったるは」
「下手人は、たれぞ」
「楓のびと もあるに」
「きょうまで、知らずに過ごせしこそ、奇っ怪なれ」
と、さながら、人命問題みたいに、いやそれ以上な大事件のように、いいさわ いだ。
よくよく調べてみると、数日、信成が出仕を休んでいた間に、無智な庭掃除の仕丁じちょう たちが、さしたる木とも思わず、伐って、焚火たきび に焚いてしまったものと分かった。
「さては、信成の懈怠けたい にこそ」
人びとのざわ めきを待つまでもなく、信成はもう死ぬ方法を考えているふうだった。茫然ぼうぜん御溝水みかわみず の辺りにひれ伏して、 「陛下のお召しぞ」 と近習が声をかけに行っても、立ち上がる力さ失っていた。
すると、高倉天皇は、御自身、くつ をお履きになって、庭面にわも へ立ち出でられ、
「── 唐詩とうし に、有名な楓の詩があるのを、お汝たちは覚えているか」
と、左右の者を、おながめになった。
たれもが、ちょっと、思い出せない顔をしていると、
「それは、こうぞ。・・・・林間リンカン ニ酒ヲアタタ メテ紅葉ヲ ク。・・・・なんと、優雅な酒の飲みようではないか。そのような風雅を、そも、たれが仕丁たちへ教えたのであろう」
明るい御微笑の下に、さも、興味あることのように仰っっしゃたのである。
口さがなく、他人の罪をいい噪いでいた人々も、はっと、叡慮えいりょ のあるところに気づいて、信成とともに、ひとしく感涙を流してしまった。── ということのあった日を、秋になり、紅葉を見る季節になると、宮廷の臣は、年々、胸に染め出して、木は見えずとも、胸の紅葉を燃え映えさせた。
清盛も、その話は、聞いている。
けれども、彼が目に見ても、今なお、心に みているのは、生みの御母 ── 建春門院けんしゅんもんいん 滋子しげこ (清盛の妻時子の妹) が、去年、なく なられたときの陛下のおやつ れ方である。寝膳しんぜんはい すということばが誇張でないことを、清盛は、その前後のおすがたに見た。
母を慕うこと、そのような子である。
そのこの口から、父法皇の憂いを言われるのが、清盛には、何よりも、心にこたえた。理も非も いて、ただ恐れ入るほかない姿の浄海入道になってしまう。
その清盛は、次の日、福原へ立った。
暑気のせいか、あるいは、危機を切り抜けた疲れが出たのか、淀川をくだってゆく船中の彼には、これまでにない憔悴しょうすい の色があった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ