「思いながら、日ごろはつい、ごぶさたばかりいたして・・・・」 蔵人
の重兼しげかね は、広縁にすわって、あいさつをしかけた。取り次の青侍あおさぶらい
は、彼をおいて、退がってゆく。 徳大寺家には、寝殿の隅すみ
の間ま に 「歌の間」 とよぶ閑雅な小部屋があった。 後徳大寺ごとくだいじ
実定さねさだ は、そこの歌机に、ぽつねんと、肱ひじ
をついていたが、 「ああ重兼か。なんの遠慮、ずっと、はいるがよい」 と、障子の蔭から、顔を見せた。 治承元年の二月きさらぎ
の初めである。 檜垣ひがき
の紅梅は、ふくらんでいるのに、下の日蔭には、春の淡雪あわゆき
が、子猫ほど、溶け残っている。 「ことしは、御年賀にも、参さん
じませいで」 「なんの、儂み
の気ままで、こう、去年から客を避けているのじゃ。詫びには及ばぬよ。── が、ほかならぬそちのことゆえ。特別に会うてやる。世間へは、実定に会うたなどと、いわんでくれい」 「はい、はい。お申しつけなれば、申すことではございません」 「正月中も、一度とて、外出そとで
もしておらぬ。・・・・面白うない世間だからのう」 「お引き籠こも
りは、御病気のためとも、伺いましたが」 「いや、表向きはだ。世を吹く風の物憂ものう
さはどうかよ。鬱気うつき にも取り憑つ
かれたようではないか」 「はて、それほどな、御不平とは」 重兼はわざと、空とぼけた。 後徳大寺の君が、このところ、世をはかなむばかり、悲観して、出家するとまで言っている。その原因が、何なのかは、世間でさえ、知らない者はない。 まして、蔵人の重兼は、実定の弟、川原の大納言実家の諸大夫である。いわば後徳大寺家とも、主従同様な男なのだ。実定の不平は、読めすぎている。 案の定、実定は、不機嫌になった。 「さてさて、無用な者を招き入れたわえ。儂み
の心も酌く まぬ者と、会うのではなかったに」 「これは、口惜しい仰せを
── 」 と、重兼は、ひざをすすめた。 平家の耳もはばかられますゆえ、わざと、お胸のつぼを外そ
らしてお答えしたのです。まことは、わたくしとて、残念で堪たま
りません。── そこで、御無念を解く一計を案じつき、かくは人目密ひそ
と、参上いたしましたものを」 「ふうむ。では、重定が楽しまぬ胸のうちを」 「お察しできないでどういたしましょう。── 当然、御当家の上に来るべき次の栄位を、相国しょうこく
(清盛) の御嫡子や御次男に超こ
えられたのでは」 「アアもういうな。分かってくれさえすればよい」 「いえ、いわねば腹膨ふく
るるという諺ことわざ もありまする。今日は大いに御不平を伺おうではございませぬか。御ご
鬱気うつき も晴れましょうに」 「そうか」 と、実定はすこし気色を直した。 |