「時刻だな。そろそろ」 護送使の平
李通すえみち は、床几しょうぎ
を離れて、やおら馬上になった。しして部下へ手を振った。 「用意。出立の用意」 荷を積み終えた荷駄馬は、道に並び、割り竹を持った下司げす
たちは、その割り竹で見物人を追い払う。 護送の兵も、追立おったて
の役人も、列を作な して、頼朝の馬を、門前にひき、 「お出ましなされい」 「はやはや、急ぎ候え」 と、口々に、館たち
の内へ、催促した。 やがて、花に包まれたそこの花の門から、小さな囚人めしゅうど
は、舘たち の人びとに見送られて、往来へ出て来た。 配所へ送られる流人るにん
といえば、例外なく、暗い影と、涙もかれ果てたような憔悴しょうすい
を持っているものだが、今朝の囚人めしゅうど
は、まったく、類るい を異こと
にしていた。 余りにも、明るい、余りにも、ぴちぴちしている。 大人おとな
たちが感じている別離の思いや、深刻な表情などは、まるで、自分とは無関係なものみたいに、頼朝は、前へ寄せられた馬の背へ、すぐ、ごび乗った。そして、 「・・・・さようなら」 と、舘の方へ向かって、鞍くら
の上から、ていねいに、お辞儀をした。 その顔も、ニコとして。 大勢の中には、禅尼も見え、頼盛の家族も見え、女房たちも、たくさんにいた。その人たちは、頼朝がニコとしたのに、かえって、反射的に、みな涙を眼にためた。 「和子よ、おからだを、大事にめされよ」 「和子よ、おさらば」 ふしぎに、この少年には、人から愛される何かがあった。天性、人をひきつける笑靨えくぼ
をもっていた。 が、頼朝は、それらの大勢を、よそ眼に、門のわきにいた一人へ向かって、 「弥兵衛やひょうえ
、おさらば」 と、もいちど、頭を下げた。 凝然ぎょうぜん
と、そこに立っていた弥兵衛宗清も、 「おさらば」 と、静かに答えて、頭を下げた。 列は動き出した。 そのあとを、そよと、花びらが舞い、白々しろじろ
とした道だけが残った。 (大津までなら) と、特に許されて、囚人めしゅうど
の叔父裕範すけのり と、源吾盛安のふたりは、列のあとから、追って行った。 粟田口あわたぐち
あたりを上ってゆくころ、春の日はもう高かった。都の屋根も、北山や、東山も、眼をやるところ、花の雲の見えない所はない。頼朝は、加茂川かもがわ
の水を、何度も振り返った。そこの河原で、父や兄とともに、戦った日を、どう胸によび返していたろうか。 やがて、大津の浜で、船に乗りかえる時、裕範と源吾の二人が、そばへ来て、 「では、お見送りも、これまでです。くれぐれも、お身を御大切に」 と、さすがに、嗚咽おえつ
をのんで、別離を嘆くと、頼朝は、 「なぜ、泣くのか」 ろ怪しむように、 「わしは、悲しくないよ。なぜなら、世の常の流人るにん
は知らず、頼朝の場合は、大きな歓びだもの。今日は、希代きたい
な吉日きちにち ではないか」 と、言った。 うわさを伝えて、湖畔には、黒山のような人が、船出を見ていた。僧俗、男女、旅人、老幼、みな頼朝の姿一つを見まもっていた。その中には、せきの平治の合戦に、負け散って、農民や漁師のうちに身を潜めた源氏武者の果ても交ま
じっていたにちがいない。ただ興きょう
がって見物しているにしては、余りに生々なまなま
しい多感を込めて、現実の啓示に無言をまもっているような眸ひとみ
もあった。 けれど、はつらつたる小さな囚人めしゅうど
は、そんなことにも、ほとんど、無関心の様さま
だった。 船が、湖上へ出ると、彼はさっそく、禅尼から贈られた双六箱すごろくばこ
を取り出して、ひとりで、遊びはじめた。そして、 「李通すえみち
。すごろくを、やらぬか」 と、彼を相手に求めたりした。 護送使の李通は、にが笑いして、 「あなたは、囚人めしゅうどですぞ。李通は、役人です。しこしはお慎つつし
みなさらぬと、掟にてらして、罰しないわけにはゆきません」 「すごろくは、いけないのか」 「遊山ゆさん
の旅と間違え召さるな。伊豆へ着いても、あなたは、きびしい監視の下におかれる囚人めしゅうどなのだ」 「では、配所へ着くまで、仕舞っておけ」 散らかした双六道具の始末を、頼朝は、ぷいと、ほかの役人に、いいつけた。 「どうも、人みしりをしない童わっぱ
だ」 と李通は、あきれた。しかしその後もである。東海道の長い毎日の旅をゆく間に、役人たちへ、途々みちみち
、双六ばなしをしかけたり、馬上からいきなり、木の葉をむしり取って、ピイピイ吹き鳴らしたりする行いを見て、 「ははあ、しこし、ばかなのかな?」 と李通は、やっと結論を得たようにいなずいた。 |