〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
九 重 の 巻

2013/03/02 (土) 赤 旗 の 下 (五)

「到着です。常陸介頼盛様が、郎党六十騎とともに、ただ今、お見え遊ばしました」
その日の灯ろもしごろである。── 表の一武者は、記録係の非蔵人時忠へ、告げた。
(頼盛が、来るか来ないか?)
それは、清盛が、昨日から、ひどく気にかけていたことだった。── と知っている時忠は、すぐ清盛の前へ出て、
「御舎弟の頼盛どのが、御参加でございますよ」
と、耳へ入れた。
「来たか」 と、清盛は、食べかけていた食膳しょくぜん を、あわただしくすませて ── 「ここへ通してくれ。時忠、おまえが、迎えに出ろ」
と、いいつけた。
頼盛は、彼の弟である。兄弟の順から言えば、五番目の弟なのだ。
清盛、経盛、教盛、家盛、その下が五男頼盛となる。
しかし、父は同じ兄弟でも、この頼盛から下、二人は母が違っていた。一ノ宮の乳人めのと の有子、今は、池ノ禅尼と呼ばれている後家の子である。
頼盛は、二十歳だった。当然、今度の召集にも、もれてはいない。けれど、母の池ノ禅尼が、無条件で、清盛の門へ、彼をよこすか否かは、疑問であった。
もし、義母の禅尼が、一ノ宮との旧縁にひかれて、頼盛を、新院方へ参加させれば、清盛は、起つにしても、頼盛を、敵にしなければならない。
これは、彼の性格として、心が痛む、叔父の忠正は、敵にまわすとしても、すでに、神輿事件の時に、彼から絶縁を受けている仲である。けれど頼盛の場合は違う。もし頼盛が味方に来なければ、義母を敵にし、良人おっと のない後家を、さらに、悲嘆に沈ませるようなものになるからである。
「おう。見えられたか頼盛」
清盛は、彼を見ると、まゆ をひらいて、欣然きんぜん たる風を、隠さなかった。頼盛は、むしろ、内心、遅参のとがめをおそれていたらしく、
「まことに、遅くなりました。決して、おく したわけではございませんが」
と、いんぎんに、礼をとり、その後で、言い訳した。
「なんの、おれすらまだ、腰を上げてはいないのだよ。・・・・というのも、母の尼公のお心定めも、いかがあらんと、和殿わどの の来るのを、待っていたのだ。──して、尼公には、どう仰せておられたか」
「いえ、何も仰せはございません。ただ、義兄あに 清盛の指図に従え ── とのみいわれて」
「だが、勝目は、いずれにあると、見越されておいでかな?」
「もとより、新院のおん企みは成るまいと、涙を流しておいでになりました」
「そうか。よし」
この瞬間に、清盛のはら も、決まったのであった。
母の尼は、常に、一ノ宮へは、よく伺っている。従って、新院方の内部には、精通している。そのお人が、新院の敗れを見越していることは、重視してよい。
「時忠、兵どもに、兵糧をつかわせ、充分に、宵寝させておけ。ここは、四こう のころ (午前二、三時) に出払うぞ」
と、言い渡した。
清盛も眠った。
しかし、夜半には、もう起きて、経盛、教盛、頼盛などの弟たちに、我が子重盛も加えて、出陣の神酒みき を、土器かわらけ み交わした。この席には、時子も、盛装して加わり、銚子ちょうし を持ち、また、良人の鎧着よろいぎ を、手伝った。
鎧は、いま始めて着る “唐皮からかわ のよろい” であった。
太刀も、それと一緒に、亡父忠盛から譲られた “小烏こがらす ” の太刀。
それを きながら、清盛はふと、頼盛の方を見た。頼盛の腰には、 “抜丸ぬけまる ” が横たえられている。小烏、抜丸と併せて、こう二振の太刀は、平氏世襲の重宝であった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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