2012/11/06 (火) 大乗経に呪いを血書した崇徳院 (二)
崩御の四年後のことである。配流後も崇徳院と連絡を取っていた歌人西行(さいぎょう) が、崇徳院の呪いの実現を憂慮して白峰御陵を訪ね、怨霊(おんりょう) をおなぐさめする歌を詠んでいる。