これは
『平家物語』 に採られた逸話だが、 『源平盛衰記』 では少し違った話になっている。 忠盛が殿上
の警護をしていたときのことである。夜も更けて、高灯台の火もほの暗いところへ、一人の女が忍んでやって来て殿上口を通り過ぎようとした。忠盛が女の袖そで
をつかむと、相手はそれを咎とが
めることなく、 「誰が私の袖を引いているのでしょうか」 と問う歌を詠みかけてきた。これはただ人ではないと思って、忠盛も歌を返して女の袖を放した。 |
雲間より 忠盛きぬる 月なれば おぼろげにては 云はじとぞ思ふ |
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はっきり
「忠盛」 とは告げず、歌の中の 「ただ漏り」 に掛けて読み込んだのである。相手の女性は 「兵衛佐ひょうえのすけ
の局」 といい、白河院の比類なく寵愛されているお方であった。翌日、白河院に召され、ことの次第を問われた忠盛は、禁獄か流罪るざい
かと恐れおののいた。しかし、白河院は忠盛がとっさに歌をもって返事をした事に感じ入った御様子で、すぐに兵衛佐の局つぼね
を呼び出して、 「袖を引いたのもしかるべき縁があってのことであろうから」 と、懐妊して五ヶ月になる局を忠盛に賜い、もし生まれた子が男子なら忠盛の子として弓馬の家を継がせ、女子ならば院のもとに返せということになった。 御落胤を孕んだ女を忠盛に与える話は祇園女御の場合に同じだが、
「雲間より」 の歌の部分は 『平家物語』 では忠盛が通っていた院の女房にょうぼう
の歌となっており、それが平忠度ただのり
の母であるという。これでは、弟の忠度まで御落胤ということになってしまう。忠度といえば 「薩摩守さつまのかみ
」 で知られているが、西国に平家一門が落ちる時に残した歌でも有名である。 |
さざなみや 志賀のみやこは ばれにしを 昔ながらの 山桜かな |
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この歌は後に
『千載和歌集せんざいわかしゅう』
に採られたが、忠度が朝敵であったことをはばかって 「詠人よみびと
しらず」 とされた。忠盛も勅撰集に歌を残しているから、忠度に歌才は母のみならず忠盛からも受け継いだものであろう。 |