〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜
命 を か け て 守 り 通 し た も の は 何 か

2012/11/02 (金) 末 裔 と し て の 自 信 と 誇 り

中佐の書簡で随所に表現されている廣瀬家の遺風は 「武士にとっての配置は即死に場」 ということが見える。さらに 「たお れた後も まず七度生まれて、また国恩に報い誠を尽くす」 という中佐にとっては、大袈裟でもなく格好つけどもないただ武人として、そして海軍士官としての使命感といえよう。この考え方は明治四十年 (1907) の六号潜水艇の艇長であった佐久間勉大尉にしっかりと受け継がれ実践された。これらは世界的にも認められ、現在も潜水艦乗りに語り継がれている海軍士官、指揮官としてのあり方といえる。また 「先登第一」 「指揮官先登 (先頭) 」 として大正、昭和の海軍に受け継がれ、今日の海上自衛隊にも海軍の良き伝統の一つとして受け継がれている。
昭和五十三年 (1979) 練習艦隊 「かとり」 「もちづき」 はスウェーデンのストックホルムを訪問した。その時の地元紙の一面見出しには 「ロシア帝国海軍を破った末裔まつえい の日本海軍練習艦隊きた る」 と題字が躍っていたのを思い出す。その時、ヨーロッパでも 「末裔」 という伝統を大事にする風潮があったことを知った。当然その時の上陸員に対する当直士官としての注意事項に 「上陸時は帝国海軍の末裔として恥ずかしくない行動、そしてさすが日本海軍と言われる行動をとるように」 と付け加えることを忘れなかった。
今の日本は戦後、命をかけてでも国に尽くすという教育を捨てた。今からでも遅くない、時間がかかっても廣瀬家の遺風に様な、繰返し繰返しの子供に対する教育を家庭と学校そして社会がとりもどす必要を痛感する。
著:古庄 幸一