〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-Y』 〜 〜
評 伝 広 瀬 武 夫

2012/10/14 (日) 序 章 廣 瀬 中 佐 (四)

第二次閉塞隊の出撃は、秋山が廣瀬を訪れた翌日、三月二十六日の午前二時四十分である。
一昼夜かけて二十七日午前二時三十分、旅順港口への侵入を開始した。有馬率いる千代丸お先頭に福井丸、弥彦丸、米山丸の四隻である。廣瀬は第一次と同様、二番船の福井丸を指揮した。
前回との違いはかく船ともに、二門だけながら機関砲を備え付け、非常事態に指揮官に代わって識が出来る指揮官付を加えたことである。福井丸に乗り込んだ指揮官付は杉野孫七一等兵、廣瀬と同じ戦艦・朝日の乗組員である。爆薬の名手と言われ、勤勉な仕事ぶりは廣瀬の目にも留まっていた。杉野も廣瀬を慕っており、第一次の閉塞隊員募集にも応じたが、妻帯者でありことなどを理由に選にもれていた。
連合艦隊は、危険な閉塞作戦を決行するに当って、下士官以下は志願者を募った。またたく間に約千人が応募し、その戦意の高さに廣瀬も驚き、 「この戦は勝つこと疑いなし」 と語ったと言う。選考は、操船や爆発物を扱う技量のほかに、肉親や係累の少ないことをが優先され、六十七人が選ばれた。杉野はすでに、七歳を頭に三人の子供がいたから、選ばれるがずもなかった。
しかし今回は、指揮官に、指揮官付を選ぶ権限が与えられていて。廣瀬は志願する杉野に、妻子のことを考えるように諭したが、杉野は泣いて懇願し、引き下がらない。ついに根負けして、メンバーに加えたのである。
第二次の作戦は、第一次以上の困難にさらされた。日本側の思惑を見抜いたロシアは駆逐艦を常時、待機させて閉塞部隊の突入を待ち構えていたのだ。ロシアの太平洋艦隊司令長官が、闘将と謳われたステパン・マカロフ中将に交代していた事も日本側には不運だった。要塞砲に駆逐艦隊の砲撃も加わり、先頭を行く千代丸が炎上し、爆沈した。廣瀬が指揮する福井丸は千代丸の前方まで進んで投錨。自沈の作業にかかったのとほぼ同時に、魚雷が命中した。
沈みかけた福井丸にロシアの砲弾が集中した。その中で爆破の用意をし、退避用のカッターを下ろす。 「点呼をとれ」 。廣瀬の命令で粟田富太郎・機関長が、カッターに乗り移ったり甲板に整列した隊員の点呼を取ると、一人足りない。杉野の姿がないのである。
「水雷長、杉野がおりません」
粟田が、福井丸の上甲板に残っていた廣瀬に報告した。
「よし、すぐ戻る。しばらく待て」
廣瀬は、すでに波に洗われ、真っ暗な船倉に駆け下りた。
「杉野、杉野」
廣瀬の船内捜索は三度に及んだ。三度目に戻ってきた時には、福井丸は上甲板まで海水に洗われていた。 「無念だ」 。廣瀬が涙ながらにカッターに乗り込んだことを、生き残った乗員ははっきり覚えている。福井丸の周辺にはこの間も間断なく、砲弾、銃弾が降り注いでいる。

『評伝 廣瀬武夫』 著:安本 寿久 発行所:産経新聞出版 ヨ リ
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