福井丸は三月二十二日午後、連合艦隊各艦の登舷礼式に送られて、作戦の集合地点に出発した。二十三日、ここまで同乗していた福井丸の船員と別れの宴が催された。この席で船長の伊東工造が廣瀬に嘆願した。 「私はすでに六十歳を越え、船とともに老いました。この船は天晴れ最期を遂げようとしているが、私はこの船と永訣することは出来ません。どうか私も行をともにして、この船に殉じさせて下さい」 老船長の命がけの頼みに、廣瀬はあえて、漢語調の言葉で断り、諭したという。 「員外の人同伴する限りに非ず」 この老船長のために廣瀬は
「丹心報国」 と 「七生報国」 の詩を贈った。この小宴では、廣瀬の風雅な心が閉塞隊員たちにの伝播したらしく、杉野も一句作っている。 |