十六人が乗り込んだカッターは、足の半分まで水につかる状態だった。要塞では機関銃も使用しているらしく、連続弾がカッターの周囲に飛来した。 「睾丸に触ってみろ。よく俺を見て、よそ見をするな」 廣瀬が懸命に隊員を鼓舞していたところ、港口に向かう仁川丸が見えた。探照灯と砲火も仁川丸に集まり、カッター周辺に飛来する敵弾が減少した。 「今だ。必死に漕げ」 長靴を使って水を乱す余裕も出来て、夜が明けるころには安全な海域にたどり着いていた。あとは収容艇に見つけてもらうだけである。隊員の一人が竿に白布を結びつけ、振りかざしながらカッターを進めた。 ほどなく、水雷艇・隼がカッターを見つけ、全速力で近づいて来た。隼から万歳の声が起こり、カッター側でもこれに和した。廣瀬はカッターの先に立って、収容される準備をした。 隼がカッターに並ぶと、隊員たちは急いで乗り移ろうとした。命からがらにの逃避行だったし、二月の海上は風が強く、寒い。無理からぬ心理だったが、廣瀬はそこで隊員らに怒鳴った。 「貴様たちは、俺より先に上るつもりか。無礼者め」 われ先の騒ぎが収まると、廣瀬は真っ先に隼に移った。隼の乗員は廣瀬の手を取り、体を抱いて引き上げてくれた。上り方の要領がわかったので、隊員らは次々に隼に収容された。二十四日午前六時半ごろだった。 「風は強いし、波は高い。その上、まだ薄暗かった。ここであわてて、一人でも水中に落してはならぬと思ったから、大喝一声して真っ先に上った。乗組員一同が俺を信用して、命令を守ってくれたことがうれしかった」 廣瀬は後日、この時のことをこう振り返っている。仁川丸と武州丸の隊員はついに、収容艇と遭遇する事が出来ず、四日間も海上をさ迷った末、中国の帆船に救助された。この作戦での人的損害は戦死一人、負傷四人だったが、危険な作業であることは変わりなかった。 二十六日、廣瀬は三笠に呼ばれ、東郷をはじめ各司令官、艦長らの前で戦況報告を行った。東郷は二回にわたって、廣瀬の指揮を嘆美し、そして慰労した。 巡洋艦・浅間の艦長、八代六郎からは書簡が届いた。 |