シベリア鉄道は、ウラル山脈に至るまで大平原を走る。そこを越えれば、針葉樹の大森林・タイガに変る。所々に寒村が見えるほ以外、雪と氷に覆われた単調な景色が続く。 東シベリアの首都イルクーツクまでモスクワから十日かかった。距離にして九千キロ。その間、汽車には食堂もなく、暖房もほとんど効いていなかったという。 ペテルブルグからモスクワまで走る汽車には寝台車や食堂があり、浴室まで完備していた。 モスクワ以西は欧州であり、そこから東はアジアであった。それが当時のロシアの国情である。 イルクーツク─チタ間はまだ、鉄道が敷設されていなかった。バイカル湖が難所になっているためで、この湖は十二月から凍結し、二隻ある砕氷船が客を運ぶ。しかし、廣瀬がやって来た一月末には、氷が厚くなり過ぎて砕氷船も役に立たない。それでも東を目指す客は、橇を雇って湖を横断するのである。 廣瀬はイルクーツクに一週間滞在した。その間に大量の手紙や絵葉書を書いた。ペテルブルグの人々のほか、日本にいる家族、友人たちにも余すことなく送った。遺書のつもりだったと言われる。 |