式後の行事として、卒業生たちの模範訓練があった。来賓に対して、水雷術についての説明をしたのはこの部門で最高点を取った岡田啓介である。機関砲に関しての講演をしたのは主席の財部。ともに海軍大臣になり、岡田は二・二六事件の時の総理大臣である。 廣瀬が、廣瀬らしさを見せるのは、さらにその後行われた立食の宴会の時である。 宴席には陸海軍の将校、士官が多数出席した。広島在勤の文官も加え、来賓は総勢二、三百人という華やかさである。そこに廣瀬ら卒業生、もはや少尉候補ということになるが、彼らと教官も入ると、会場は五百人近い盛会だった。 めぢがうまい、と定評のあった海軍の施設での宴席ということもあったかもしれない。会場内は各所で、歓談の輪ができ、放言する者あり、酩酊する者ありという状態になった。制服の金ボタンを外し、言動も乱れて、軍人の威厳も威風もどこへやらという将官が続出した。 廣瀬ら卒業生の中にも酩酊して、醜態をさらす者が相次いだ。これが廣瀬には許せなかった。このような醜態をさらす軍人で、戦いの時に役に立つのかと憤り、その気持を早々に手紙に書いた。
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(頑児世人ややもすれば酒のため言行常に異なること往々みるところなり。故に終身酒を口にせずと、これ常に考うるところなりといえども、今日益々その念を強くせり) |
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酒は元々嗜まない廣瀬が、その念を一層強くしたのはこの日が境だった。 酒を嫌った廣瀬だが、その代わりに大の甘党だった。友人が酒を飲んでいるその横で、いつの間にか饅頭を五十個も平らげることがあったという。明治二十年、廣瀬が海軍兵学校に入って二年目のころである。 重箱一杯の豌豆飯を友人が持参した時にはこんな逸話が残っている。しばらく待て、と言って奥に消え、やがて出て来て重箱を返した。 「うまいものを頂戴してありがたかった。
(作ってくれた人に) どうぞよろしく言ってくれ」 別の器に移し替えることもなかったのに、と友人が言うと、 「なあに、入れ物がなかったので、みな腹の中にしまった」 平然と言う廣瀬の食欲に呆れたという話しである。 廣瀬の健啖家示す逸話は、航海先やロシア留学中などにも多々残っていて、足跡をたどるとしばしば、ほのぼのとした気持にさせてくれる。 ともあれ、廣瀬は海軍少尉候補として船出した。初任の乗艦は軍艦・比叡である。 |
(たとい学業は学校にて不成績たるも、実地の事においては、決して他人の下に屈すまじと期す。かくて一は厳大人家兄の厚情に答え、一は祖先の名を辱めざるべしと覚悟仕り候) |
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家族への手紙の他に、この夜は得意の漢詩も作った。 |
男子事ヲナサント欲ス 毀誉ハ一ニ人ニ任ズ 今日天地ニ盟フ 敢ヘテ精神ニオイテ負ケズト |
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廣瀬がまもなく二十一歳になる春のことである。 |