〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/19 (火) 新院御経沈めの事 付けたり 崩御の事 (九)

そもそも、人皇にんわう 七十七代の間、公私の合戦数を知らずといへども、光仁天皇くわうにんてんわう 已前いぜん は、皇都くわうとこころ に任せ、もとゐ一所いつしよ に定められず。桓武天皇くわんむてんわう御宇ぎよう帝城ていせい をこの地に め、平安城へいあんじやうかう せしよりこのかた、星霜せいざう 三百七十余くわい 、されども、父子・兄弟両方に分かれ、皇居くわうきよ仙洞せんとう に軍陣たり、皇城わうじやう を戦場とし、宮門きゆうもん に血を流す事、先蹤せんじよう これまれ なり。しか れば、智将ちしやう 各々おのおの 力を くし、士卒しそつ 多く死破しは す。逆徒ぎやくと ことごと退散たいさん し、王臣わうしん 皆身を合はす。希代きたい 不思議ふしぎ義兵ぎへい なり。

そもそも、人皇七十七代の間、公私の合戦は数多く起こったが、光仁天皇以前は、皇都は心に任せて、一つ所と定められなかった。桓武天皇の御代、帝城をこの地に定め、平安城と号して以来、歳月三百七十余年、しかし、この間、父子、兄弟が両方に分かれ、皇居と仙洞に軍陣を設け、皇城を戦場として、宮門に血を流すこと、先例は稀である。この合戦では、智将それぞれ力を尽くし、士卒は多く死んだ。逆徒はことごとく退散して、王臣皆一つになった。世にも稀な不思議の義兵である。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ