〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/15 (金) 為朝生捕り遠流に処せられる事 (五)

道すがらも、輿舁こしかき どもに うて、腹立ふくりう して、いか る事なのめならず。様々やうやう のれいあくをのみしけり。ある時は、 「やうれ、己等おのれら も聞け。人の流さるる事は、皆歎きにてあれども、、為朝はよろこ びぞ。十善帝王じふぜんていわう に持てあつかはれ奉りて、輿に乗り、兵士ひやうじ へ、宿々やどやどくりや 雑事ざふじ にて、配所へつか はさるる事、まこと面目めんぼく にあらずや。これに過ぎたる栄花えいぐわ やある」 と、以外もつてのほか勢快せいくわい し、たはぶるる時もあり、ある時は、また、 「哀れ、朝威てうゐおそろ しき事かな。為朝程の者が、普通の凡夫ぼんぶ らるる事よ。今は何事をかはすべき。かたは者になりたればとぞ思うふらん。一はたら きだにはたら きたらば、これ程の輿は物にてやあるべき。くは、見よ」 とて、少しはたら くやうにしければ、さしもきびしく打ち付けたる籠輿ろうごし の、むずめき、ひりめきて、くだやぶ れなどしけるあひだ、輿舁こしかき ども、恐れおのの きて、逃げ去る時もあり。ある時は、 「えいや」 と云いひて、輿を押し ゑければ、ちともはたら かぬ折もあり。 「えいや」 と云ひて、身を打ち振れば、廿余人の輿舁こしかき ども、一度に振りたふ さるる時もあり。また云ひけるは、 「かひな 抜かれたればとて、為朝、ちとも損あるまじ。弓こそ少し弱くなるとも、矢束やづか はなほ長く引かんずれば、物を通らん事はいとど強くこそあらむずらめ」 とて、散々さんざん過言くわごん述懐しゆつくわい してぞ下りける。伊豆いづ下着げちやく しても、およ そ、物を物ともせず、人を人ともせず、思ふ程に振舞ひければ、預りは伊豆国大介いづのくにおほすけ 狩野かの 工藤茂光くどうもちみつ なりけるが、もちあつか うて、いかがはせんとぞ思ひける。

道中も、輿舁きどもに向かって腹を立てて、怒ることはひと通りではない。さまざまの悪事をした。ある時には、 「おのれらも聞け。流罪に処せられると、皆嘆くが、為朝にとっては悦びよ。帝王のようにもれなされて輿に乗り、兵士が付き添い、宿毎に食事などが準備されて配所へ送られること、面目をほどここすことではないか。これ以上の栄華があろうか」 と、上機嫌でたわぶれる時があるかと思えば、ある時にはまた、 「ああ、朝威とは恐ろしいものよ。為朝ほどの者が、まるで凡夫のように生け捕りにされてしまう。もうなったらもう何も出来まい、不自由な体になってしまったのだからと思っているのだろう。しかし、ちょっとゆすってみるだけで、これほどの輿は問題にならない」 と、少しゆすったところ、あれほどきつく打ち付けてあった籠輿が、みしみし音を立てて砕け破れなどしたので、輿舁どもは恐れおののいて逃げ去る時もあった。また、ある時は、 「えいや」 と叫んで輿に力を入れて座り込んだので、少しも動かすことの出来ないこともあった。 「えいや」 とかけ声かけて、体をふるわせて、二十人余りの輿舁どもが、いっぺんに振り倒される時もあった。また、 「腕の筋を抜かれたからといって、為朝はちっともこたえていない。弓を引く勢いが少しは弱くなっても、それだけ矢束を長く引けば、物を射貫くことはかえって強くなるというものよ」 などさんざんに勝手なことを言い放ちながら、街道を下った。伊豆に到着しても、横柄な態度は相変わらずで、思う存分勝手放題に振舞ったので、伊豆国大介狩野工藤茂光が引き受け人であったが、どうにももてあつかいに困り、どうしたものか困り果てていた。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ