〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/13 (水) 大 相 国 上 洛 の 事

また、内裏だいり より、少納言せうなごん 入道にふだう 信西しんぜい を御使ひとして、禅定禅定殿下ぜんぢやうでんか 流し奉るべき由、関白殿くわんぱくどのおほつか はさる。関白殿、 「かしこ まり承り候ひぬ。但し、父を配所へ遣はして、その子、摂?せつろく として、朝務てうむ相替あひかは り候はん事、忠臣ちゆうしん の礼にあらず候ふ。しか れば、忠通ただみち が関白辞表じへう かるべき」 と、にがにがしく申させたまひければ、君も臣も力およ ばず。禅定殿下は、また、富家ふけ別業べつげふまか り帰るべき由申させたまひけれども、公家くげ より御ゆるし なし。およ そ、南都にては、なほも しかりなむ、知足院ちそくいん へ渡し奉るべしとて、勅命ちよくめい って、関白殿下より御迎へに人を奉らせたまひけるを、 「違例の事ざうら ふ」 とて、渡りたまはず。御書ごしよ をぞ公家くげ へ奉らせたまひける。その御書には、起請きしやうことば を載せられたりけるとかや。 「朝家てうか の御ため 、野心をさしはさ まば、現世げんぜ には、天神てんじん 地祇ちぎ冥罰みやうばつかふぶ り、当来たうらい には、三世さんぜ の諸仏の利益りやく るべし」 とあそばさりたりける。されども、つひ には、知足院へ渡りたまふ。

また、内裏から、少納言入道信西を御使いとして、関白の許に、禅定殿下も流罪とするよう命令があった。関白殿は、 「かしこまり承りました。ただし、父を配所へ送っておいて、その子が摂?せつろく として、政務を入れ替わるのは、忠臣の礼に背くことになる。ここは、忠通の関白辞表をお受け取りいただけましょうか」 と、にがにがしげに答えた。確かに理の通っていることなので、禅定殿下の流罪のことは沙汰やみになった。禅定殿下はまた富家の別荘に帰ることを希望なさったが、朝廷からお許しが出ない。奈良ではなおまずい、それでは知足院にお移ししようと決まり、勅命によって、関白殿の許からお迎えに人を遣わしたが、 「前例がない」 とおっしゃて、お移りにならない。そして、御書状を朝廷に提出なさった。その書状には、起請の詞が書き載せられていたということである。 「朝廷の為に野心を挟むならば、現世にあっては、たちどころに、天神地祇の罰をこうむるなり、来世においては、三世の諸仏の救済から漏れてしまう」 と書いていらした。しかし、受け入れられず、禅定殿下は知足院にお移りになった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ