また、重仁
親王しんわう をば日頃ひごろ
尋ね進まゐ らせられけれども、御行末ゆくすえ
を知り奉らざりける程に、女房にようぼう
車ぐるま に召め
されて、朱雀門しゆじやくもん
の前を通らせたまひけるを、平判官へいはんぐわん実俊さねとし
、見付け進まゐ らせて、内裏だいり
へ告げ申しければ、御使参りて、 「いづくへ候ぞ」 と尋ね申しければ、 「出家の為ため
、仁和寺にんわじ の方かた
へ罷まか り向ふ」 由よし
、御返事おんぺんじ あり。 「速すみ
やかに御素懐そくわい を遂と
げられるべし」 とて、即すなは
ち、実俊して、花蔵院けざうゐん
の僧正そうじやう 寛暁くわんげう
のもとへ渡し奉りて、 「やがて剃そ
り奉るべき」 由よし 、仰おほ
せ下くだ さる。再三辞し申さる。宣旨せんじ
重なりければ、力無く、剃り落し奉る。日頃は、 「この君こそ御位には」 と万人ばんにん
思ひ合へりしに、かようにならせたまひければ、あさましなども愚かなり。 この新王と申すは、故こ
刑部卿ぎやうぶきやう 忠盛ただもり
、養君やうくん にし奉りたりければ、清盛きよもり
、見放ち奉るまじかりけれども、世にしたがふ習ひこそ悲しけれ。されば、伝へ承りて、内々ないない
涙を流しけり。 |
また、重仁親王を数日来探したが、その行方がわからなかったが、女房車に乗り、朱雀門の前を通ったのを、平判官実俊が見付けて、内裏へ報告したので、お使いがやって来て、
「どこへ行くのか」 と尋ねたところ、 「出家の為、仁和寺へ向かう」 との御返事があった。 「早く、宿願をとげられるがよい」 と許され、直ちに実俊が付き添って花蔵院の僧正寛暁の許へ渡して、
「即刻髪を剃ってさしあげるよう」 命じた。僧正は再三にわたり辞退した。しかし、重ねて宣旨が下り、やむなく剃り落とした。常日ごろ、万人、 「この君が皇位にふさわしい」
と信じていたのに、かく出家なさるとは、嘆かわしいことである。 この親王は、故刑部卿忠盛が養君にしていたので、清盛も見放し難いところであろうが、世に従う習いとは悲しいことである。だから、清盛は親王の出家のことを伝え聞いて、ひそかに涙を流したということだ。
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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