〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (中)

2012/05/31 (木) 新 院 御 出 家 の 事

新院しんゐん山中さんちゆう に渡らせたまひけるが、日やうや く暮れにければ、夜にまぎ れ、家弘いへひろ 父子、かはるがはる肩にまゐ らせて、はるばる山をば でにけり。法勝寺ほつしようじ の北、東光寺とうくわうじへん にて、輿こし を尋ねて乗せまゐ らせ、 「いづくへか入らせおはしますべき」 と申せば、 「阿波あはの つぼねもと へ」 とおほごと あれば、二条にでう 大宮おほみやつかまつ りて、尋ぬる程に、門を ぢて、たた けども叩けども、音もせず。 「されば、左京大夫さきやうのたいふもと へ」 と仰せければ、それへ仕りたれども、 「今朝、合戦のには より、いづく へかおはしけん、知らず」 とて、門を開かず。 「さらば、少輔せうく内侍ないしもと へ」 と仰せありけれども、それにも人もなかりけり。昔は四海しかい安危あんき たなごころ の内に明らかに、万国の理乱りらん叡慮えいりよ にまかせましまし、今は、また、五畿ごき 七道しちだう 、東西南北かき れて、洛陽らくやう 九重ここのへ のその内に、ただしばらく立ち寄らせたまふべき仮の御宿もましまさねば、いかばかりかは昔恋しく思し召すらんとあは れなり。

新院は山中に隠れていらしたが、だんだん暮れてきたので、夜の闇に紛れて、家弘父子が交替で肩に担いで、やっとのことで山を抜け出た。法勝寺の北、東光寺の辺で輿を探し求めて、新院をお乗せし、 「どちらへ参りましょうか」 と尋ねたところ、 「阿波の局の許へ」 とおっしゃるので、二条大宮に出かけて案内を乞うたが、門戸を閉じたまま、戸を叩いても返事がなかった。 「それでは左京大夫の許へ」 とおっしゃるので、そこへ参ったが、 「今朝方、合戦の場からどこかへ姿を隠したきり」 と言うばかりで、門を開けない。 「それでは、少輔の内侍の許へ」 とおっしゃるが、そこにも誰もいなかった。昔は天下のことはすべて天皇が掌握され、国の治乱もすべて天皇のお考えのままでよかったのに、今は、五畿七道に身の置き所なく、洛陽九重のなかでも、ほんのしばらく立ち寄る仮の宿さえないありさまに成りかわり、どんなに昔恋しくお思いのことだろうと推し量られてあわれなことだ。
家弘父子も、心に らはず、御輿こし を手づから自ら き奉り、かしこここへとつかまつ りぬれば、力弱り てて、はたら くべしともおぼ えず。合戦には戦ひ疲れたり、もの にはおされたり。身のありさま、われ にもあらずおぼ えければ、 「自害せばや」 と思ふ事、度々どど なりけれども、 「さて、いん の御事をばたれ か見届けまゐ らすべき」 と思ひければ、よろぼひよろぼひつかまつる。院も、合戦のまぎ れなれば、供御くご もまゐらずして、昨日きのふ も暮れぬ、今宵こよひ も明けなんとす。御身も弱らせたまひて、めつ るやらんとのみぞおぼ されける。さてしもあるべきならねば、知足院ちそくいん のほとりに知らぬ僧房そうぼう のありけるに、入りまゐ らせたりければ、やがてひれ させまします。家弘、とかくして、重湯おもゆ いとな だしてまゐ らせたりければ、いささ か御覧じ入れてけり。その後、ひそかに僧を一人いちにん 召され、御ぐし おろさせまします。光弘、やがてかみ 切りてけり。家弘も出家せんとしけるを、 「なんじ 出家しては、いとど罪深かりぬとおぼ ゆるぞ」 とおほごと ありければ、しばらくは髪も切らざりけり。
家弘父子も、思いもよらぬこと、御輿を自分らでかつぐことになり、あちこち出向いたが、すっかり疲れはて、動けなくなってしまった。合戦では戦い疲れ、武具は重く身にこたえる。何だかわけがわからなくなり、 「自害したきこと」 と度々思うようになったが、 「それでは、新院を見取る者がいなくなってしまう」 と思い直し、ふらふらしていた。新院も合戦に紛れてお食事もなさらぬまま、昨日も暮れ、今日も明けようとしている。体も弱り、このまま死ぬかとお思いなさる。こうもしていられず、知足院の傍らに、だれ知らぬ僧房があったので、そこにお入れしたところ、そのまま倒れてしまわれた。家弘は重湯を作って差しあげたが、少し召しあがられた。その後、ひそかに僧を一人呼び、髪を下ろしなさった。光弘も続いて髪を切った。家弘も出家しようとしたが、 「お前まで出家しては罪深いこと」 とおっしゃるので、しばらくは髪を切らなかった。
「さて、いづちへかわたらせたまふべき」 と申せば、 「さりとては、仁和にんわ みや へ渡すべし。但し、案内をば申すべからず。是非無ぜひな く御輿こし き入るべし」 と仰せられければ、ふつと舁き入れまゐ らせて、家弘は北山きたやま へ逃げ入りにけり。五の宮は、故院の御供養けうやう のためとて、鳥羽とば 殿どの に入らせおはしけるままにてわたらせたまひけるに、急ぎ告げ申したりければ、大きに騒がせたまひて、 「御所へ入れまゐ らせん事、およかな ふまじ。寛遍くわんぺん 法務ほふむ の坊へ だしまい らせて後、内裏だいり へ申すべし」 とて、やがて内裏へ申しければ、佐渡さどの 式部大輔しきぶたいふ 重成しげなり を召されて、守護し奉る。
「さて、どちらへ参りましょうか」 と申したところ、 「こうなったら、仁和寺の五の宮の許へ行こう。ただし、案内を乞うてはならない。無理にでも輿をかつぎ入れよ」 とおっしゃるので、急いでかつぎ入れ、家弘は北山へ逃げた。五の宮は故鳥羽院の供養のために鳥羽殿にお出かけであったので、急いで告げ知らせたところ、大変驚き、 「仁和寺の御所へ入れることは絶対に許されない。寛遍法務の坊へお移しして後、内裏へ報告するよう」 とお命じになったので、すぐさま内裏へ報告したところ、佐渡式部大輔重成を遣わして守護した。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ