新院
は如意山によいさん へ入らせたまひけるに、兵つはもの
、馳は せ参まゐ
りて、 「左大臣殿さだいじんどの
は既すで に討う
たれさせたまひぬ」 と申しければ、 「こはいかにしつる世の中ぞや」 とて、あきれ迷まど
はせたまひければ、御供とも の兵つはもの
ども、これを承って、心弱くぞなりてける。 「相あひ
構かま へて三井みゐ
寺でら まで」 と思おぼ
し召め さるるに、山嶮けは
しくして、御馬より下お りて、歩かち
より上のぼ らせおはしましける。いつ慣な
らはせたまふべきなれば、兵ども、御手を引き奉り、御腰を押し上げ進まゐ
らせなどして、助け上のぼ せ進まゐ
らせけるに、山中さんちゅう のほどにて、絶え入らせおはします。兵ども、東西を失ひ、もだえこがれ、悲しむほどに、やや暫しばら
くありて、御気を吹ふ き出い
ださせたまひて、 「人やある」 と召め
されければ、 「某それがし 某それがし
」 と面々めんめん に名乗り申しけり。
「多く並な み居ゐ
て候ふを、人なしと召め され候ふは、実まこと
に御目の眩く れさせたまひけるにこそ」
と、各々おのおの 袖そで
を絞りける。 「水やある。飲まん」 と仰おほ
せ言ごと ありければ、各々走り散りて求めけれども、なかりけるに、法師原ほふしばら
の三井寺の方より水瓶すいびやう
を持ちて通りけるを、奪ひ取って、持って参りて、進まゐ
らせたりければ御気色きしよく
聊いささ かにならせたまひてけり。 |
新院が如意山に入山なさったところ、お伴の兵が駆けつけ、
「左大臣殿、はやお討たれになりました」 と申し上げたところ、新院は、 「大変な世になってしまった」 と途方に暮れていらしたので、兵どもはこれを見て、弱気にならざるを得なかった。
「ぜひ、三井寺まで」 と新院は願われ、山がけわしいので馬から下りて、徒歩で山をお登りになった。慣れない山歩きのこととて、兵どもが御手を引き、また御腰を押し上などして、どうにか山歩きを続けたが、途中、山腹の辺で気を失ってしまわれた。兵どもは途方にくれ、もだえ泣き悲しむしかなかったが、しばらくして、新院は息を吹き返された。
「だれかいるか」 とお呼びになるので、 「某、某」 とそれぞれに名乗った。 「多くおそばに控えているのに、誰も居ないとお思いになるのは、御目が見えなくなってしまわれたのにちがいない」
と、皆悲しみあった。 「水はないか、飲みたい」 とおっしゃるので、走り散って探したが求めることが出来なかった。ちょうど、三井寺の方から法師らしき者が水瓶を持って通りかかったので奪い取り、持ち帰って差し上げたところ、御加減を持ちなおされた。 |
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その後、家弘、
「敵かたき 、定めて追ひ進まゐ
らせ候はんずらん。疾と く疾と
く 延の びさせたまふべき」
由よし 申しければ、 「今は、この身の事をば、各々知るべからず。何方いづかた
にも立た ち忍しの
び、汝等なんぢら が身を扶たす
くべきなり。さしもの奉公を致して、身を徒いたづ
らにしつる事こそ不便ふびん なれ」
とて、よに御心弱げにて、御涙を流させたまふ。各々、この御有様ありさま
を見み 進まゐ
らせける心の中うち 、さこそは悲しかりけめ。涙を押へて申しけるは、
「一度進まゐ らせ上げ候ひなん命、なじかは二度ふたたび
思ひ返し候ふべき。ともかくも、君のならせたまはん御行末ゆくすゑ
を見終みは て進まゐ
らせてこそ、塵灰ちりはひ ともなり候はめ。見捨て進まゐ
らせては、いづくへか罷まか り退の
き候ふべき」 と、声々こゑごゑ
に申しければ、 「志は実まこと
にさる事なれど、我が身ばかりこそ、たとひ敵かたき
襲ひ来き たるとも、手を合はせ、降かう
を乞こ はんに、などか助け進まゐ
らせざるべき。汝等なんぢら 付つ
き副そ ひては、定めて防ぎ戦ひすらん。中々悪あ
しかるぬと思おぼ ゆるぞ」 と泣く泣く仰おほ
せければ、兵つはもの ども、皆、涙に咽むせ
びて、 「強し ひて御供とも
に候ふべき」 由よし 申しけれども、
「適かな ふべからず」 と仰せ再三に及びければ、力及ばず、涙とともに落ち行きけり。 |
その後、家弘が、
「敵に追いつかれてしまいます。早く逃げのびなければ」 と申したところ、 「この期に及んで、わたしのことなどかまわなくていい。そこらに隠れ忍んで、お前らが危難に遭わないようにしなければならない。これほど奉公してくれて、むだ死になどさせてはかわいそうなことよ」
と、弱気なことをおっしゃっては泣いていらっしゃる。このようなご様子を拝することになろうとはと、皆、悲しんだ。それでも涙を抑えて、 「一度、院に差し出した命ゆえ、後悔はありません。ここはともかく院の行く末を見届けてから、私どもも死ぬ覚悟です。お見捨て申し上げて、どうして我々だけ退くことができましょうか」
と声々に訴えたので、 「志はありがたいが、自分だけだったら、たとい敵が襲ってきても、手を合わせて命乞いをしたら、どうして助けてくれないことがあろうか。なまじお前たちが付き添っていると、合戦になり、かえってまずい」
と泣く泣く仰せられる。兵どもは皆、涙に咽んで、 「何としてもお供いたしたい」 と申したが、 「許さぬ」 と再三拒まれたので、心残しながら、新院はそのままに、泣く泣く逃げた。 |
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月とも日とも仰あふ
ぎ奉る君をば、知らぬ山路に捨て置き奉り、海とも山とも憑たの
み奉る左府さふ は、また、云い
ふに効かひ なくなりたまふ。ただ木に離れたる猿さる
のごとし。陸くが に上のぼ
れる魚うお のごとし。身の行く末も思ひ遣や
られて、君の御余波なごり の程も悲しければ、泣く泣く後を顧かへり
みて、涙に眩く れ、足に任せて落ち行けば、中有ちゆうう
に迷ふ罪人も、思ひ知られて哀れなり。 |
月日にもたとえられる君を、どことも知らぬ山路に捨て置き、恩顧深い左府はまた無残なお姿になってしまわれた。木から離れた猿、陸にのぼった魚のように、実に頼りないことであった。我が身の行く末も気がかり、それにしても君のことが気がかりで悲しく、泣く泣く後ろを振り返りしながら、涙にくれ、足のおもむくまま逃げたが、まるで、中有に迷う罪人もかくばかりと思われて悲しい。 |
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院も、
「この御有様ありさま にては、兵つはもの
どもありとても、何の詮せん かはあるべき」
と思おぼ し召め
されつれども、さすがまた、散々ちりぢり
になり終は てて、ただ御一所残らせおはしましければ、御心細く、憑あのは
む方かた なくぞ思おぼ
し召め されける。今いま
は家弘・光弘父子ばかり候ひけるが、御手を取りて、谷の方へ引き下おろ
し進まゐ らせて、御上に柴しば
を切り懸か けて、隠し置き奉る。父子二人は、あたりの木の茂しげ
れる中を陰として、伺候仕つかまつ
りける心の中うち 、何いか
ばかりの事をか思ひけん。 |
新院も、
「こうせっぱつまっては、兵どもが付き添っていても、もはやどうにもならない」 と覚悟を決めたことであるが、さすが皆散り散りになって、ただ一人残ることになり、心細く思われてならなかった。 今は、家弘、光弘だけがお傍にいたが、御手を引いて谷のほうに下り、体の上に柴を切りかけて、隠し置き申し上げた。父子二人は近くの木陰に隠れて様子をうかがっていたが、その心中思いやられてならない。 |
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『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館 ヨ
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