信頼卿は、左馬頭
源 義朝
が保元の乱以来、平家に立ち遅れて遺恨に思っているのを知って、謀叛の仲間に引き入れようとし、義朝を呼び寄せて頼みをかけると、義朝は、 「命を捨てても御心
にそいましょう」 と、深く契約して帰っていった。信頼はまた二条天皇の外戚に当る新大納言経宗
や別当 惟方
にも語りかけ、院の寵臣であった越後
中将成親 をも仲間に引き入れた。 こうして時節を待っているうちに、平治
元年 (1159) 十二月四日、平清盛は息子の重盛以下を引き連れて熊野神社へ参詣した。この時こそと、信頼は義朝を呼び寄せて、
「信西が、それがしを討とうとたくらんでいる。清盛が熊野詣をしているうちに信西を討ち、つづいて平家を亡ぼして、そなたと二人で天下の政治を執り行おうではないか」
と誘い込み、自ら太刀二振りを取り出して与え、また二匹の黒馬に鏡鞍
を置いて引き出物とし、義朝が帰ったあとから、かねて準備しておいた鎧五十領を、追っかけるようにさし遣わした。 |