〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (上)

2012/05/17 (木) 官軍勢汰せいぞろ への事並びに主上参上殿に行幸の事 (二)

その後、合戦の次第しだい はから らひ申すべきよし 、仰せ下さる。義朝、申しけるは、 「軍の籌道はかりごと まちまちに候へども、たやす く敵を へたぐる事、夜討ようち にしかず。天の明けざるさき に、陣頭ぢんとう に押し寄せて、敵の上手うはて を打つ事、これ一の武勇ぶよう の計らひなり。就中なかんづく左府さふ権威けんゐ をもつて、南都なんと衆徒しゆと を召され候ふなる、その勢い、既にせん 余騎よき に及ぶ。明旦みやうたん参向さんかう とも聞え候ふ。また、舎弟しゃてい にて候ふ為朝ためとも 冠者くわんじゃ、父為義に属して、仙洞せんとう祗候しこう して候ふ。きやつ は、合戦の道におきては、もつてのほかさかさかしき者にて候ふが、彼のともがらあひ してまか り向ひ候ひなん後は、たとひ百万ひやくまん つはもの をもつて指し向け候ふとも、左右さう なく防ぎがたかるべし。たとひくろがね を延べて楯につぐとも、かれ矢先やさき にはかな ふべからず。その上、かたき の寄するをあひ 待ち、日を ぶるならば、人馬じんば とも に疲れて、合戦弱かるべし。しか れば、この御所をば清盛きよもり などに守護せさせらるべし。義朝、時剋じこくめぐ らさず、夜中やちゆう に院の御所に押し寄せて、勝負を決すべく候ふ」 と申しければ、

その後、合戦の計画につき説明するよう命じられて、義朝は、 「戦のはかりごとに定法のないのは当然ですが、たやすく敵を征服できるとなると夜討が最上でしょう。夜が明けぬ前に、敵の意表をついて押し寄せるのが武勇の者のはかりごとというもの。なかでも、左大臣の権威を頼んで奈良の衆徒を招集しているようだが、その勢いはすでに千余騎にもなり、明朝参向との情報があります。また、弟の為朝冠者は父為義側について、仙洞御所に仕えている。為朝は、合戦となると抜群の働きをする猛者もさ だが、あれが加わって敵軍が攻め寄せたとなると、たとい百万騎の兵を差し向けようとも簡単には防ぎきれまい。たとい鉄で作ったたて なりとも、あれの放つ矢ではたまらない。その上、敵の来襲を待ってむだに日数を重ねると、人馬共に疲れて合戦に敗れてしまう。そこで、この御所の警護は清盛にまかせてほしい。義朝は時を移さず、夜中に院の御所に押し寄せて、勝負を決するまでです」 と申し出た。
信西、 「詩歌しいか 管弦くわんげん は臣下のたしな む所なり。その道なほ もって暗し。いはんや武道ぶだう においてをや。合戦のはかりごと においては、ひとへなんじ を頼み思し召さるるところなり。就中なかんづく 、先にする時は人をせい し、後にする時は人に征せらるるといふ本文ほんもん あり。敵の上手を打たん事、もつと ももつて肝心かんじん なり。急ぎまか り向ひ候へ。かね て、また、東国とうごく勇士ようじく 、汝にあひ したが ひて、多く御方みかた参向さんこう の由、粗叡聞ほぼえいぶん に及ぶ。これまた御感ぎよかん なきにあらず。義朝が多勢たぜい は、天運てんうん のしからしめましますにあらずや。それ君のこう を達せんとする時は、必ずこころざししやう に押す。勝つ事を求むる時は、愛をへい に致す。将は君のたの むところ、兵は将の憑むところ、たとへば、身はひぢつか ひ、臂はゆび を仕ふがごとし。汝知らずや、朝威てうゐかろ んずる者は朝敵てうてき なり。朝敵となる者は天の攻めをかうぶ る者なり。すみ やかにそのともがら誅伐ちゆうばつ して、宸襟しんきん を休め奉り、かつう抜群ばつぐん の忠をいた し、莫大ばくたい勲功くんこう を誇るべし」 とぞ申されける。義朝、かしこ まり承りて、罷り づ。信西が仰せ言、義朝が返答へんたふいづ れも、人、耳をします。ゆゆしくぞ聞えし。

信西は、 「詩歌管弦は、日ごろたしなむとはいっても、まだ奥義をきわめるまでに至っていない。ましてや、武道についてはまったく不案内である。合戦のはかりごとはすべて汝に任せたところである。なかで、先んずる時は人を制し、後にする時は人に制せらるるという。敵の意表をつくのが肝要であるのは確かなこと。急ぎ向かうがよい。かねて、東国の勇士らが汝に随って味方に多く参っていることは、大略天皇のお聞き及ぶところである。たいそう感心なさっていらしたぞ。義朝に軍勢が多くついているのは天運に見放されていないことの証ではないか。君たるもの功をあげようとする際は、その考えるところを将に念押しする。勝利を求める際は兵に愛をそそぐ。君は将を頼みとし将は兵をたのみにすること、例えば身はを使い、は指を使うといういうな具合であろう。
汝も知っていようが、朝威を軽んずる者を朝敵と言う。朝敵となる者は天罰を受けて当然。早く朝敵を攻め討って天皇に安心いただき、その大働きを認めてもらおうとは思わないか」 とおっしゃる。義朝はかしこまって拝聴して、退出した。信西のおっしゃりよう、また義朝の返答、人々は皆聞きほれたことである。まことにすばらしい応酬であった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ