〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (上)

2012/05/12 (土) 官 軍 召 し 集 め ら る る 事

また、内裏より、 大将だいしやう 公教きんのりの きやうとう 宰相ざいしやう 光頼みつより 二人を御使ひとして、美福びふく 門院もんゐん へ参らせられて、故院こゐん の御遺命ゆいめい を申し出ださる。両人、これを披見ひけん し奉れば、内裏と院と御中 しかるべき事を、故院、かね て御心得ありて、内裏へ参ずべき武士の交名けうみやう を御自筆にしる し置かせたまふ。義朝よしとも義康よしやす頼政よりまさ信兼のぶかね実俊さねとし 、以上五人なり。
義朝・義康は、別して故院の仰せを承りて、 んぬる六月より内裏へ参り、守護し奉りける上は、近日、ことに諸門を固めて祗候しこう す。安芸守あきのかみ 清盛きよもり は、もとより多勢たせい の者なり。もつともとりわけおほ せをもかうぶ るべかりけるが、父刑部卿ぎやうぶきやう 忠盛ただもり 、新院の一宮いちのみや 重仁しげひと 親王しんわう養君やうくん にし奉りけるあひだ、かの乳母めのと たるによって、この日記につき には漏れたりけるを、美福門院より御使ひをつか はして、 「故院の御遺言なり。内裏へ参るべし」 と仰せられたりければ、清盛、いかが思ひけん、これも内裏へ参りにけり。そのほかのともがら は、職事しきじもよほし に従ひて、みな 参内さんだい す。そう じて、諸国の宰史さいしつはものしん じ、諸衛しよゑ官人くわんにん兵杖ひやうじやうたい す。四部五部の検非違使けびいし 等、甲冑かつちう をよろひ、弓箭きゆうせん を帯し、陣頭じんとう に祗候せり。
義朝と義家はとりわけ故院のご命令で、去る六月から内裏へ参上して守護の役についていたが、近ごろはことのほか厳重に諸門を警護していた。安芸守清盛はもとより軍勢を多くかかえていたので、かくべつ頼りにされてしかるべきところ、父刑部卿忠盛が新院の一の宮重仁親王のご養育を担当していたので、あいにく乳母子にあたるというわけで、この日記には漏れてしまった。しかし、美福門院がわざわざ使者をよこして、 「故院の御遺言です。内裏へ参るよう」 とお伝えになったので、清盛はどう思ったのだろうか、内裏へ参ることにした。そのほかの輩はそれぞれ職事の召集に応じて、参内した。諸国の宰史は軍勢を参内させ、衛府の官人どもまた武装し、四府五府の検非違使らも、甲冑で身を包み、弓矢を手に取るなど、おこたりなく陣頭にひかえていた。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ