〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (上)

2012/05/12 (土) 左 大 臣 殿 上 洛 の 事

大臣殿だいじんどの宇治うじ にましましけるが、新院しんゐん 既に白河殿しらかはどの御幸ごかう なりたるよし きこ えければ、式部大夫しきぶのたいふ 盛憲もりのり を使者として、 「実否じつぴきつ と見まゐ らせて参れ」 とて、遣はさる。盛憲、急ぎ帰り参り、この由を申しければ、左大臣、 「さらば」 とて、急ぎ参らせたまふ。ただし、我が御身は、あや/rt> しげなる張輿はりごし にやつれたまひて、醍醐だいご より忍び参らせたまふ。御車には、くわん 給料きふれう 登宣のりのぶ山城やましろの 前司ぜんじ 重綱しげつな 二人ににん を乗せて、 「左大臣殿、院へ参らせたまふ」 由をののし りて、ろく 波羅はら の前を り通す。つはもの ども、これを見て、左大臣殿の御通りの由、内裏へ告げ申して、車を押しとど めたり。信西しんぜい 、この事を心得て、 「左府さふ の乗らせたまひたるにはよもあらじ。ただ通すべし」 とて通したり。

左大臣殿は宇治に滞在しておられたが、新院がはや白河殿にお移りのことを耳にされ、式部大夫盛憲に、 「確かかどうか、はっきり確認して来い」 と命じて行かせた。
盛憲は早々に帰参、確かなことと報告したので、左大臣殿もそれではということであわただしく京に向かわれた。ただし、御自身はみずぼらしい張輿に身をやつし乗られ、醍醐路沿いにひっそり向かった。本来お乗りになるべき新院用の車には、菅給料登宣と山城前司重綱の二人を乗せ、左大臣殿、院の御所へ参上と触れまわして、六波羅の前を通り過ぎた。兵どもはこれに気づき、左大臣殿のお通りと内裏に報告、車を押し留めた。信西はこの細工を心得て、 「左大臣が乗られているわけではあるまい。このまま通すがよい」 とおっしゃるので、通した。
昔、かんの 高祖かうそその 項羽かうう と合戦せしに、高祖のいくさ 破れて、あや ふかりける時に臨みて、紀信きしん といふつはもの を高祖の車に乗せて、項羽の陣の前を り通させ、高祖はひそ かに逃げ去りぬ。ここに、項羽が兵ども、高祖の車とて押し留む。されども、紀信一人いちにん 乗りたりけり。この紀信と申すは、天下てんかすぐ れたる兵なりければ、項羽、これを害せん事を しみて、 「なんじ 、我に従ふべくは、助くべし」 と言ふに、紀信、あざ笑ひて言ふ、 「忠臣ちゆうしん二君じくんつか へず。なんぞ項羽がやつこ と成らん」 と ひければ、項羽、怒りをなして、紀信を殺せりといへり。
昔、漢の高祖と楚の項羽が戦った時、高祖の軍勢が敗れてあわやという時、紀信という兵士を高祖の車に乗せ、わざと項羽の陣営の前を通らせ、高祖はこっそり逃げ去ることがあった。項羽配下の配下兵どもは高祖の車と気づき押し留めたが、紀信が一人で乗っているだけであった。この紀信は剛勇をもって知られた兵だけに、項羽は紀信を殺すにしのびず、 「紀信よ、我が軍門に降る気はないか、助けてもいいぞ」 と言ったところ、紀信はあざ笑って、 「忠臣二君に仕えずという。どうして項羽の下部しもべ となろうか」 と言い放ったので、項羽は怒り、紀信を殺したということだ。
左府もこの例をおぼ でられけるにや、信西もまたこの事を思ひ合はせけるにこそ。いづれもいづれもゆゆしくぞ聞えし。されども、登宣・重綱は、紀信がこころ には似ずやありけん、白河殿へ参り着きて、 「あなおそろ し。鬼の打替うちかへ にこそなりたりつれや」 とて、わななくわななく車の内よりくづ れ落つ。
新院より、武者所むしゃどころ ちかひさ 久をもって、内裏へ御書ごしょ あり。やがて御返事ぺんじ あり。重ねて院より御書あり。今度は御返事なし。何事にてかありけん、子細を知る人なし。

左大臣ももれにならって行動を起こし、信西もまたぬかりなくこの例を思い合わせたのだろう。ともに故実に けてたいしたものだ。しかし、登宣と重綱は紀信ほど肝は太くなく、白河殿に着くや、 「怖ろしいことよ。あやうく鬼のえさ になるところだった」 と、おびえながら車の中から崩れ落ちた。
新院から武者所親久を使者として、内裏へ御書状が届けられた。直ちにお返事があり、再度新院からの御書状が届けられたが、この度はお返事はない。何事をめぐっての御書状のやりとりだったのだろうか、詳しい事情を知る者はいない。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ